時間は、ないのではない。 
作っていないだけだ。

『習い事って通ってやる必要あるかな?』

と思いませんか?

というか、 
今日はそんなことを ふと考えました。



私の中の結論は
好きなことは言われるまでもなく
夢中になってやるので通う必要ない。


でも、

好きではないことや
1人ではモチベーションの維持が難しいこと
は、通った方が効果的ということ。

私はfeelcycleという
(暗闇の中でクラブのような雰囲気で
バイクを漕ぎまくる)ジムに通っている。

例えば
家にそのバイクを買ったとしよう。

毎日できる状況になったとて
果たしてやるだろうか?

考えてしまったが
答えは1秒で出た。


やらんな。


今は、電車ではるばる通って
そこでインストラクターの
カッコいいお姉さんお兄さんに
煽られながら楽しく滝汗をかいている。


もはや
家を出る瞬間
いや、むしろ前日から
"行くための時間"を確保して計画している


家を出てしまえば
限られた電車の中では本を読み
読み終えることもたやすい

ジムにつけば
ひたすら身体を動かし続ける

"そうすること" を決めている

だが、
もし家にいれば
掃除もできちゃう
テレビも見れちゃう
予習もできちゃう
まん丸(愛犬)が遊んで、と見てくる

というように、
時間を "何に使っても良い" からこそ
無駄にしていることも多いはず

そんな中
いつでも家にあるバイクにまたがり、
汗をかくための運動する時間に
使おうとするか?

いや、しないだろう。  

つまり、
人は
"時間があっても" 
やらないのだ。


時間は作るもの

時間は限られているからこそ
"何のために使うか" 目的がはっきりして
こそ、充実した時間が過ごせる

つまり
習い事の"通う"ということのメリットは
大きいんだなぁ、と気づく。

家にいながらできることは多いけど
それをやる選択をするかどうか
が問題なのだ。

きっかけや
モチベーション
刺激を受けると
やる気の継続が期待できる。

"通う"ことは
そんなモチベーションの維持にも役立ってる。