『叱られたくないから やる』になっていませんか?

 

時々、

厳しい先生が良いです

と、親御さんから話を聞くことがあります。

 

おそらく、その場合の厳しいというのは

『やりなさい!』と強く伝えて

取り組むことを強いる先生と

いうことではないでしょうか?

 

 

私も、若い頃は

それが正義だと思って

子どもたちと向き合ってきた気がします。

 

でも、現在の私は

絶対にそういう向き合い方はしません。

 

恐れや、不安が動機となって

取り組んでも楽しくないからです。

 

『先生に怒られるから』やろう

『お母さんに怒られるから』やろう

そういう動機で取り組む子に

なって欲しいですか?

 

 

私は

本当の厳しさとは

その子がやりたいと言ったこと

について、

粘り強く一緒に伴走できることだと

思っています。

 

 

全ての起点は

子ども自身の

『〇〇したい』であってほしい

 

そのためのサポートを全力でするよ!

というスタンスです。

 

そのため

子どもがやりたくないと思ったり

必要ないと思ったら

塾を辞めるのもありだと思っています。

 

 

そうでないと、

伴走されるのが辛く感じると思うんです。

動機が

『〇〇されたくない』で頑張っでいる子と

『〇〇したい』で頑張っている子

 

 

どちらが

楽しく取り組めて

伸びていくでしょうか?

 

 

 

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