女性が多い私の職場は、妊娠出産ラッシュ。
私はまた赤ちゃんが来てくれたらいいなと過ごしています。
アラフォーの私になかなか来てくれないけど^^;
同い年の、職場の妊婦さんは今回で3人目。
「無事生まれてくるか分からないけど」が口癖。
身近に私がいるからかな、とか思ってしまう。
私への配慮を少しうかがってしまうし、全然そうじゃないかもしれないけど、
職場の方だけど、同い年だし友達的な存在のその方は大好きな方。
でも、そんなふうに、今の妊娠を思わなくてもいいよ、言わなくていいよって思う。
無事生まれてこないかも、なんて思わなくていい。
元気に生まれてくるよ!って、思って過ごしたらいいからね🌸
って思う。
だから、その方の、その発言を聞くと、
私が言わせてしまってるのかなと、
優しさと一緒に心が少し苦しくなる。
🌸
もし、私に次の妊娠があるとしたら。
私はもう、あおくんが過ごした子ども医療専門の病院はこりごり。
子どもの先進的医療を施す、専門の科が全て揃うあの専門病院のお世話になりたくない。
そんなふうにふと思う。妊娠してないけど。
だけど、あおくんが生きてる時は、あの病院が私の居場所だった。
あおくんの事を口で話すのが苦しくて、
誰かの発言で傷つくのがしんどくて、
知り合いの誰にも出会いたくなかった、家と病院の往復をしていた育休期間。
あおくんに会って、酸素が安定していたらほっとして、
安定してなかったら、苦しいんだと感じ帰りの車で泣いて帰ってたあの時期。
モニターに一喜一憂し、
先生のお知らせがある日はほぼ落ち込んで、時には医療に怒りの感情さえ湧いたりした。
あおくんのそばにいても、
アラームやモニター音、あおくんの肺に送る、異常に高い圧の呼吸器の音を聴いているのは、
苦しかった。
あおくんとの面会時間は、あおくんの笑顔を引き出すのに必死で、
その頃撮ってた動画は私の元気で明るい声が多いけど。
家に帰ると、そのNICU の音達から逃れてほっとするけど、あおくんのことを大丈夫!頑張ろうね、と思う気持ちと、
いつ訪れてもおかしくない、あおくんの旅立ちの事も考えていなくちゃ。
その時が来たら、あおくんがちゃんと安心して旅立てるように。
私はどっしりしていなくちゃって。
いろいろ、ぐるぐる考えていた。
そんなふうに過ごしてた私だったけど、あの頃は
あおくんがいる、あの病院が、私が一番堂々と私らしくいられる場所だった。
友達とも会わなかったし、コロナ禍だったのもあるけど。
職場(や関係部署)に行く時は、明るい自分を作った。
あおくんの事は、聞かれたらどうしようという焦りと、頑張っています!とだけ言おうとか
強がりが必要だった。
あおくんの病院はね、あおくんと一緒で、病気と戦う子どもたちと、その保護者さんが通院してるから。
そこにいるだけで、自然と、勝手に皆と連帯感を感じてたから、
居心地が良かった。
ほぼ泣いてた私だったけど。
あおくんが過ごした病院。
私が私らしく居られた場所だけど、もうお世話になりたくない。
そんな事を思う、この頃。
🌸
あおくんが旅立ったのは、去年の9/21。
もうすぐ1年がくる。
だからでもないけど、私はあおくんと過ごした日々の事は、
鮮明に覚えています。
今後もきっと色褪せない。
まだまだ、毎日乗る車の中で、あおくんの名前を口に出したりしてる。
遺骨ネックレスは毎日つけてる。
出かける時はあおくんの写真を持ってる。
ずっと身近に感じられるのは、
あおくんの生涯の動画(「あおくんのキセキ」)を見て、今でもいいねやコメントをくださる方がいらっしゃる事も大きい。
そして、あおくんを通じて出会った人たちに、会えていること。
ありがとう🌸会えた方と過ごした時間はとても貴重で、
一つ一つの出会いが、思い出しても幸せで有難いと感じます。
それと、もちろん、これまでやりとりしてくださった方や、ずっと読んでくださっていた方の「いいね」。
私の孤独感は皆さまに癒されていました。
あおくんが旅立った日、
私たち夫婦は体についたチューブやモニターを全て外して身軽になったあおくんと、
ひとしきり過ごした後、
「お別れ会」があるからね、最後の沐浴とお世話をしてくださったスタッフさんが訪れてくれるセレモニーがあるからね、
地下のお部屋に◯時に来てください、と言われ、
あおくんをNICU に預かってもらい、
私たちはその時間までデイルームで過ごした。
セレモニーの部屋に伝えられた時間に行った。
空気が凛としてた。オルゴールの音が響き渡るお部屋。控えめなピンク色と白色を基調としたお部屋。
控えめな白色の照明。
あおくんが、ベビーカーに乗せられて、主治医の先生が連れてきてくれた。
そこで、あおくんが大好きなお風呂の時間♡
最後のお風呂をした。
そのあと、代わる代わるお世話になった医療スタッフさんが部屋を訪れてくれて、あおくんをだっこしてくれた。
あおくんの体は、まだ冷たくなってなかったけど、
重力がかかる部分の皮膚(耳。横を向いていたのかな。あとは背中あたり)に、
紫の斑点が現れ始めた。
少しの動きも見せなくなったあおくんは、魂が抜けたかのようで、
「あおくん」の着ぐるみ?抜け殻みたいだった。
だけど、だっこすると、やっぱりずっしり重たかった。
たくさんの方に、だっこしてもらえた。
こんなふうにね、あおくんが生きてる時に、皆さんにだっこしてもらいたかったね。
感染予防が第一で、だっこや医療看護行為以外で触ることができるのは、保護者しかだめだったもんね。
抜け殻みたいなあおくんを抱いてると、すぐ近くで魂のあおくんが元気に飛び回っているのを感じていた。
だから、私は悲しみに打ちひしがれることはなかった。
ずーーーっとあおくんの旅立ちは考えていたから。
だから、あおくんが実際に死を迎えた時も、
私は大丈夫だった。
よく頑張ったね。あおくん。ありがとう🌸
私はあなたの母親であることが、幸せ。
そうとしか思わなかった。
この時のこと、ブログに書けてなかったです。
そして最近ふと思うのが、
NICU に預かってもらってたあおくんが、主治医の先生の手でセレモニーの部屋まで連れてきてもらった時のこと。
医療機器全てから解放されたあおくん。
ベッドではなくて、ベビーカーであの、NICU の一番奥の席(あおくんは長期戦だったから、ずっと奥の席でした。)から、
お世話をしてくれた医療者さん達が、あおくんが通れる道を作って、両端に立ってくれて、
その通路をとおって、NICU のドアを出たんだろうな。
これまでたくさんの赤ちゃんの、NICUの卒業(退院、小児科への転棟)を見届けてきたから、
NICU の卒業はあおくんの目標だったもんね。
一度だけ、きっと亡くなった赤ちゃんのNICU を退室される場面を感じたことがあった。
ブログに書いた事があるけど、スタッフさん達が通路を作って両端に立って、
厳かに立って赤ちゃんが通るのを待つ。
そんな雰囲気を感じた事があった。
だから、あおくんもきっと、そんな風にお世話になった人たちに、
見送られたんだと思う。
NICU の卒業は、ずっとずっと、あおくんと私の目標で夢だった。
私はこの場面に、立ち会いたかったのかなって思う。
あおくんがNICU を出るこの瞬間に。
この場面をふと考えることが多いから。
🌸
あおくんの匂いと温もりは、思い出すとすぐその実感に浸れます。
思い出すと、色んな場面を思い出します。
あおくんと生きた時間を、苦しさも楽しさも全てひっくるめて、愛しく思います。
いっちゃんに会えたよ💕R4.6.19