思いの外、前回の投稿にいただけたコメントたちに

はっとさせられました。




闘病中のお子さんに寄り添うお母さんたちの思いに浸りました。





つい最近まで私もその当事者だった。




だけど今、そのあおくんに寄り添う中での、あおくんを思い苦しさを感じる日々は遠い昔になってて。




つい最近のことなのに不思議。





あおくんに会いたい気持ちはいつもあって、写真や動画じゃ物足りなくて、





もうあおくんがカメラロールに増えていかないのが悲しくて、





きれいな秋空の写真が増えていく毎日です。




空を見上げることが増えました。





私は毎日心が軽くなった。




搾乳をやめていくの、搾乳回数が減るのは自分の生活を大きく変えた。





搾乳時間を中心に動いてた生活。




だけど搾乳を考えなくてよくなったことは、完全に自由気ままになった。




自分のことだけ考えればいい。





仕事の都合に自由に生活を合わせられる。





走ればおっぱいがいつも痛かった(⌒-⌒; )

これ、地味に悩んでいました。




だけどもう痛くない。ランニングも少し再開。





だけど、搾乳をやめていくって苦しさもあった。





もう母乳が出なくなる。あおくんにやってあげられる私の最大の役割。




それがなくなっていくのは悲しいと思った。





あおくんの写真に手を合わせるし、外出するとあおくんの写真を何度も見るし、待ち受けもあおくんだけど、





一日であおくんのことを必死に思ってることはなくなっていった。





あおくんのことを必死にパパと話すこともなくなった。





そうだ、あの緊迫した心の状態はなくなって、




心穏やかにあおくんのことを話せるようになった。





私たちが心穏やかでいれること、それはあおくんが穏やかに過ごせてるってこと🥰




自分の穏やかな心の状態に、あおくんを重ねて、あおくんの写真に微笑みかけちゃいます。





お友達と楽しくやっていますか?





って☺️





そう。だけど、今闘病中のお子さんに寄り添うお母さん達のことを考えました。





だから、また今感じる気持ちも書きたいな。




さくらんぼ黄色い花リボンリボン黄色い花さくらんぼ




私は保健師で、業務は地域に住む母子の育児支援です。





あおくんが過ごした病院は、私の職場から車で10分ほどの距離。近くです。





なので

そのあおくんが過ごした新生児科から、


卒業(退院)して地域に帰る赤ちゃんについて、




私の職場には「地域でのフォローをお願いします」、と引き継ぎの書類が届きます。




新生児科で1週間だけ過ごされ退院された赤ちゃん引き継ぎ書。




そこには、

課題としてチェックされていたのが


「出産後間もない長期入院による母子分離」

長期入院による子どもとの分離」







1週間の入院で退院される赤ちゃんで、この課題での支援依頼…。





もちろん、母子の健康状態、特に母のメンタルの支援の依頼です。





これを見て、


私(あおくん)が退院に至った際は、いったいどんな引継ぎ書を書いてくださるんだろうと、




思いました。




でも、後で考えたんです。




例え赤ちゃんの1週間の入院であっても、このように大切に引き継ぎしてくださる病院さんの心配り。




きっと、私のことも、それだけ大切に思ってきてくださっていたのだろうと感じました。




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あおくんに寄り添ってきて、振り返って思うこと。






私は医療の選択をしてきてないです。





私がしてきたことは、先生(医師)から示されたことを、


ただ自分に必死に言い聞かせて、



自分の中に叩き込んでねじ込んでねじ込んで、



ねじ伏せてきただけ。




次々に示される受け入れ難い現実を、




ただただ自分に無理に落とし込んむ作業をしてきただけ。




今、改めてそう思います。




私はあおくんの医療の選択をしてきてない。




先生に言われるまま。





最初から最後まで、




その連続をただ重ねてきた日々だったと思う。




これは悲観的な考えじゃなくて、




自分を振り返ってそう思う。




私たちの選択、進む道は先生がレールを敷いていたように感じる。




先生が話すことは、いつも必然的にあおくんの治療方針を決めていた。




呼吸器を離脱できないから、気管切開が適します。



けいれんにより、心拍とサチュレーションが下がりやすくて危険。


だから眠る薬の量を増やします。

いや、「増やしました」



採血のしすぎで血液が足らない状態になっています。輸血をします。「輸血しました」



誤嚥と、

眠る薬の副作用で分泌物の量が増えて、

肺炎を頻回に起こしています。



肺が虚脱(きょだつ)しやすくなっています。





誤嚥→肺炎のリスクを減らすために、


口腔内の分泌物が気管に入らないように、


気管を封鎖する手術(喉頭気管分離)をしましょう。

これにより声を失いますが、




肺炎のリスクは減ります。



と、お勧めしましたが……




今はとても手術できる状態ではありません。。。




たびたび起こるけいれん、呼吸器は高い圧が必要な状態……




これでは術中のリスクが高いため、





手術は適さないと判断しました。。



(……これ以上、やれることがないんです)




けいれんで心拍の大きな低下を認め、ボスミンを投与しました。





「今日、明日の命でしょう」





やりたいこと、してあげたいことをしてください。





あおくんが残してくれた時間を大切に過ごしてください。


(お母さんお父さんがやりたいことがあおくんのやりたいことですから。



生き甲斐なのですから。)



ここには私たちの医療の選択は入ってないです。





先生が言うことを必死に自分の中に落とし込む作業の連続。




私は、私たちはその一つ一つを示されるたびに、





ショックを受け、だけど「あおくんは頑張ってる」。




あおくんと生きるんだ。あおくんができるだけしんどくないように、生きる楽しさを感じられるように。




って考えて、





それを受け入れて、あおくんと前に進むんだ。




と、自分の中に無理矢理落とし込んできました。




だけど、落とし込めないものもあった。




既述の

と、お勧めしましたが……

今はとても手術できる状態ではありません。。。

たびたび起こるけいれん、呼吸器は高い圧が必要な状態……

これでは術中のリスクが高いため、

手術は適さないと判断しました。。

(……これ以上、やれることがないんです)


です。




これに対しては、頭が真っ白。



そして、怒り。



この高すぎる呼吸器の圧。



この頻回に起こる重度のけいれん。。



先生はこの圧であおくんの肺が破れるのを待っているのか!



とさえ思った。



怒りでクラクラした。




先生たちに任せていられないと思った。




だけど、そのうちにあおくんはけいれんと同時に心拍、SpO2が40ほどまで低下するという急変があり、




ボスミン投与に至った(1/21の急変)。



既述の

けいれんで心拍の大きな低下を認め、ボスミンを投与しました。

「今日、明日の命でしょう」

やりたいこと、してあげたいことをしてください。

あおくんが残してくれた時間を大切に過ごしてください。

(お母さんお父さんがやりたいことがあおくんのやりたいことですから。

生き甲斐なのですから。)


もうこれは受け入れるしかなかった。



悲しい。あおくんがもういなくなっちゃうなんて。




だけど、あおくんは精一杯がんばったんだね。




ずっと一緒にいてたい。家族の時間、待とう!あおくんがやりたいこと、やろう。



ずっとそばにいてるから。




って。




今思うと、先生はこの時も呼吸器の圧は一切下げなかった。




あおくんの生命力にかけていたのか。





ミルクの量を減らす等、あおくんにできるだけ負担をかけない治療には変わったけど。





今日、明日の命である、とは告げながらも、






積極的な治療は続けたまま。





緩和治療への勧めはなかった。

私たちに選択肢として示さなかった。





今日、明日の命かもしれない。その可能性は十分にある。




だけど、そうじゃない可能性もある。





先生たちは、その可能性もちゃんと見つめてくれていたと、そう感じる。





そしてあおくんは、天から舞い降りた天使を跳ね除けた。






天使たちはあおくんに紐をつけて天に帰ろうとしたけど、





あおくんが重すぎてできなかった。





天使「なにこの子、重くてあげられないんだけど。

もう知らないっっ。ぷいっ」




あお「だってぼく、まだまだ生きたいんだもん!」





そこからあおくんはめきめき生きたい力を私たちに見せつけた。





あれだけ、大変だった「重度のけいれん」を



急変を境に起こさなくなった。






あの「けいれん」はどうして治まったのか。



先生は「分からない」と答えた。



すると私はまた先生に対して怒りが出てきた。




「分からない」って何⁈どういうこと?

「今日、明日の命」「あおくんが残してくれた時間」とか、


先生はあおくんのこと、諦めたってことですよね⁉️


呼吸器の圧は下がらない。


これからどうするんですか⁉️あおくんの肺が破れてしまうまで待つんですか⁉️



って。




私、本当に必死だった。




あおくんを守りたくて、あおくんを守るには先生を信じることしかできなかったのに、





その先生から突き放される(ように感じた)言葉たちに、




極度の孤独を感じ、私1人(パパもいる)で戦わなければならないんだって。





今まで私は何をしていたのだろう、何甘えていたのだろうって。




でも、今思うことは違くて。





思えば、先生はずっと戦ってきてくれたんだなぁって思う。




一番あおくんの近くで、あおくんの声に耳を傾けようとしてきてくれたのって、先生だと思う。





なのに、どうして患者さんに伝わりにくいんだろうね。不思議。






私が怒りで改めて、話し合いの場を自分で希望して持ってもらって、




「先生はあおくんを諦めたんですよね」





って思いの丈を伝えた。




みんな泣いた。私も、先生も看護師さんも。





先生は必死に医療で生かす努力をしてくださる。



医療は「生かす」。それは人間は生きたいから?




そう、それで合ってると思う。




あおくんは生きたいから、人生を始めたいから



私を見つけて



私のお腹に入ってくれたんだもんね。




そして医療は、「生きること」と「人間の幸せ」についてたくさん考えさせる。




先生も人間。「人間の幸せ」とはを、一緒に考えてくださる。





医療は化学だったり機械だったりするけど、医療を施すのは人間でよかったと思う。





今はそう感じています。



R2.8.21  あおくん3か月(修正0か月10日)


初めて私服を着た日🥰