※[振り返り⑧]2/1 中庭 からの続きです。
1/21今日明日が山でしょうと言われたあおくんは、落ち着きをずっと取り戻し安定しています。その経過に寄り添う親である私の気持ちを書いています。

あおくん、お風呂でうんち☺️
自由きままでなんて可愛いんでしょう。
あおくんのバイタルは引き続き落ち着いていた。
落ち着いてるあおくんといてると心から癒された。
だけど、
あおくんの呼吸器の吸気圧32。
これがこわくてこわくて。
あおくんの肺、大丈夫なの?
先生から言った、
あおくんがくれた時間だと思いますよ、
と言う言葉や、
治療のことよりも
あおくんとの大切な最後の時間を過ごせる様にとあれこれ提案しようとするさまが、
本当に苦しい。
そして、これらを私たちに伝える時は、優しく微笑みながらされる。
その微笑みの本心は、治療を諦めたと見えた。
そして、心の冷たさを感じた。
先生がね、あおくんとの貴重な時間の過ごし方を考え出したら、
看護師さん達の思考も皆そうなってしまうんだって!
先生が指示出すんだから。
皆が私を心痛な目で見るんだよ。
心底悲しくなった。
ボスミン投与後の、今日明日の命でしょう、ということはしっかり言って、
その後のあおくんは、落ち着きを取り戻した。それがどうしてかを「分からない」と答えた先生方。
もう、ここから。。私は、
先生はきちんとアセスメントしてない!
今までだってどうだったのか。ちゃんとあおくんを見てきたのか。
今日明日の命と言われた患者の気持ちなんて知ったこっちゃないんだろう、
なんなら言い慣れてるのか。
今まで先生の言葉を信じて、ただただ医療を信じてきていた。だけど、、
だけど、それが間違っていた。
なんて私は任せきりだったんだろう。
医療のことは分からないから
先生を信じていますって。。。
医療を信じるって先生を信じるってこと。
それ前提に、あおくん大丈夫だよ☺️っていつも言ってきた。
あおくんが善くなることを目指して、先生と同じ方向を目指してきて、頼もしく思ってきたのに今の私は、先生のことを信じれなくなってきている。
あおくんを守るのは先生じゃない、私だ!
あおくんが善くなる。
同じ方向を目指さなくなった先生に、拒否反応と苛立ちの気持ちがでてきた。
先生はさぁ、
だいたい初めは親をできるだけ心配させないように言ってくるでしょ。
そして、赤ちゃんのリスクが見えてきたら、それをバシッと伝えるんだよ。
だから吸気圧が高いってリスク、伝えてきたけど、これでも抑え気味で言ってるのかリアルなのか、
なんか分からなくなってくるんだよね。
本当はさぁ、気胸(緊張性気胸)のリスクとか話すからMAXリスクあるって伝えてくれてるんだろうけど、それでも抑え気味なんだったら、
本当は私が思ってるよりもっともっとあおくんの命のリスクは高いんじゃないか。
だから、あおくんとの時間作りを積極的に提案してくるのか⁈
逆にさ、先生は可能性のあるリスクは伝えないといけないから伝えたってだけ?
じゃ私が心配しすぎなだけなん?
本当はもう少し楽に思ってていいのか。。
なんか先生の言葉をどのように理解したらいいのかわかんねーー、状態。
私に浮かんだ疑問。
🔵吸気圧32の程度。
そして、
🔵ボスミン投与の事態になったら今日明日の命って伝えられるのが普通なん?
ボスミン投与の事態になったあと実際に今日明日で亡くなってしまう確率ってどんなものか?
なんならボスミン投与の判断って合ってたん?
そして、
🔵気管切開をする手術の時に同時に喉頭気管分離をしてた方が良かったのではないか。
喉頭気管分離は発声機能を絶ってしまう。
だけどね、今命を落とすかもしれないリスクがある。声は絶ってしまっても、命を守りたい。
今までだって受け入れてきてんって。
見ること、考えること、歩くこと、食べること、呼吸すること。
それらが自分でできないってこと。
副作用でずーっと眠らされていること。
一つ一つ私なりに受け止めてきたんだって!
気管切開をする前も、肺炎やけいれんは見られていた。
気管切開後、
痰や分泌物の垂れ込みから肺炎、そして抗生剤投与、肺炎きっかけのけいれん。
そして、抗けいれん薬はあおくんの覚醒時間を奪う、さらに分泌物を増やす副作用あり。
痰などの分泌物が肺に溜まる。
そしてまた肺炎、そしてまたけいれんを起こすという悪循環。
でどんどん吸気圧(呼吸器の設定)が上がっていった。
この事態を当初から予測できていなかったのか
(2/2の思い)
〈これまでの経過〉
※続く