12/22
祖父母(私の方の)と面会ができました。
新生児科の師長さんが、病院の感染症予防チームにまで許可を取って、特別に認めていただいたようでした。
祖母(私の母)について少しだけ、、、
母は、私の妊娠をとても喜んでいてくれました。
だけど、妊娠27週1日、緊急帝王切開を経て、あおくんを出産。
あおくんが産後1日で脳出血を起こし、
脳のダメージからは、今後寝たきりとなる、ものを認識して理解すること、考えることもできないとの告知もあった時、
母は、あおくんを楽にさせてあげなさい、と私に言いました。
この言葉は私の胸に、ずっとずっと、深い傷として残っています。
あおくんの出産となる日は、私自身も何が何でも助けてくださいとは思わなかった。
妊娠27週って、、、赤ちゃんはどんな状態で生まれてくるの?
未熟すぎる身体。今出して大丈夫なの?
大丈夫ってどういう状態のことかもわからないけど、、、
って。
もっともっと赤ちゃんをお腹に置いておきたい。
どうして私にはその選択肢がないの?
何でいきなり出さないといけないの?
切迫早産の妊婦さん、みんな必死にお腹に置いておこうと入院するのに。
そして私は、運命のままに生きたいという思いが強くて。
だからお腹の中に置いておきたいって、
先生方に、そう訴えていた。
私がそのまま救急車からタンカーで運ばれて移動させられたその部屋で。
その部屋に入ってくる、産科、麻酔科、新生児科の先生全てにそう言っていた。
どうしていいか私にはとにかく分からなかった。
最終的に、赤ちゃんが重度貧血になったこの状態は元には戻らないことが検査から分かり、
そして、助かるという言葉を信じた旦那さんの言葉と、先生方の助けたい思いの強さで私は帝王切開を決めた。
産後すぐ赤ちゃんは輸血を施された。
そして産後1日目に、広範囲の脳出血が確認された。
私の母は看護師で地域の病院の産婦人科外来で勤めていた。
異常妊婦さんの多くは、専門病院に紹介となるので、
母は職場でも基本的には健常の妊婦さんと関わっていたと思う。
だから私と同様に、赤ちゃんの今後のイメージが全くなかった。
私は産後すぐからNICU に赤ちゃんの面会に行けた。
そして、少しずつ出てくる母乳。からだが母親になっていくのを感じ、
また入院中部屋では、あおくんと同じような境遇の赤ちゃんをたくさん検索をして、不安を少しでも和らげようとした。
面会は必ず旦那さんと時間を合わせて行った。
コロナ禍なので、面会でしか旦那さんと会えなかった。貴重な時間だった。
赤ちゃんの祖父母は当然面会禁止だった。
産後3日間は私は母と十分な連絡を取り合わなかった。
自分の気持ちの整理に必死だった。
そして、産後3日目にやりとりした母のことばが、
冒頭に書かせてもらった、赤ちゃんを楽にしてあげなさい。
あんなに赤ちゃんと会えるのを楽しみにしていた母。
その母がその言葉を口にする。
母はどちらかというと、赤ちゃんより私のことの方が心配。
この頃の母は、あおくんの写真をLINEで送っても、ちゃんと見ていなかったよう。
見るのを拒んでいた。
赤ちゃんに愛情をもってしまうのが怖かったんだろうな。
旦那さんは、面会後に私の実家に寄り、赤ちゃんの状況を伝えてくれていた。
だけど、赤ちゃんにも私にも会えない状況。
赤ちゃんの状態と、私のこれからの生活への不安。
私は日々、母の愛を感じて育ってきた。今も感じる。
一番強く感じた出来事があった。
私は結婚前、ずっと一人暮らしをしていた4年前に、38度以上の高熱が下がらず3日目を迎えた日があった。
毎月くらいだらだらと微熱が出る症状に悩み、何度か内科を受診していた。大したものではないと漢方薬を処方され、自分管理で服用していた。
ちょうど休日だったけど、3日目は仕事に行けなくて職場に連絡し、母にも連絡した。
動くのが辛すぎて1人では受診も行けないし動きたくない。。
母は飛んできてくれて、私を受診させた。病院でも私は倒れた。車椅子移動をした。
そこで受けた診断が、子宮内膜症性の卵巣嚢胞。
子宮内膜症が慢性化した状態であると。
自分が子宮内膜症だったなんて、初めて知った。
その時だったか後日だったかはうろ覚えですが、
母から、
こんな身体にさせてしまってごめんね、と言われた。
私のからだは私が責任を持って管理するものだよ。
この時、お母さんってどこまで子どもの身体に責任を持とうとするのだろうと感じた。
そして、母の愛を強く感じた。
そんな母からの赤ちゃんを楽にしてあげなさいのことばは本当に重たかった。
見通しがもてないって闇の中にいてるようなもの。
脳出血を起こした赤ちゃんと親の生活って、どうしてこんなにイメージがもてないんだろう。
周りにいなくて、いや、身近にいらっしゃるのかもしれないけど、在宅生活で私たちが知ることが難しい世界になっているのかもしれない。
闇の中から光を見出すまでは闇の中をわけもわからずただひたすらかけめぐった。
光が見えてからはあおくんに寄り沿っていく、あおくんと一緒に生きて行きたい思いを自覚した。
あおくんがかわいい、あおくんのことが大好き。
そんな思いをLINEで母に伝え続けていった。
そして、母はいつしか、あおくんを愛する私と同じ方向を向いてくれるようになった。
あおくんの写真送って。
あおくんに服を買ったよ。
おもちゃを買ったから、取りに来てね。
届けに行こうか。
あおくんにお父さんと千羽鶴を作ってるよ。
寒がりなあおくんに、帽子を編んでいるよ。
そして、看護師のお母さんは観察力がすごい。
昨日は右手に点滴入ってたよね。今日は左に入ってる。
あおくんの足腫れてない?
手の甲赤くなってない?(サチュレーションの赤い光がそうみえたよう)
爪切ってあげなさい。
って、写真をとても楽しみに、そして写真だけどよく観てくれるようになった。
あおくんと会いたいな。お父さんもそう思ってる。
と時々言ってくれる。でも、
コロナ禍だから、会うのはよくないね。
と、会いたい、けど会いたくない気持ちで
7か月が経ちました。
あおくんの初めての面会。
まずはおじいちゃんがだっこ。
おそるおそる。
重たいなぁ〜ってあおくんに話しかけていた。
次はおばあちゃんがだっこ。
あおくんあおくんあおくんあおくんあおくん、、、
ってお母さん、
ずっとあおくんに声をかけていた。
涙が出るのを抑えるような声で。
あおくんは気管切開をしているのもあり、
特に初めてだっこをするおじいちゃんおばあちゃんにとっては赤ちゃんを腕の上に置かれてもどうしていいか分からない。
だから、ほんとに、あおくんがぽんっと腕の上に乗った状態のだっこ笑
あおくん、おばあちゃん、おじいちゃんだよ。
この日のあおくんといったら、、、
すやすやすや。。。
笑
いつもお口とかかわいく動かしてくれるのにな笑
可愛く眠っていました笑
30分の面会時間。
おばあちゃんおじいちゃんはとても喜んでくれました。
あおくんも、おじいちゃんおばあちゃんを全身で感じてくれたかな。
この時間は最高のクリスマス🎄プレゼントでした。