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瑣末な思考の断片。のちのちのアイデアメモとして。

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悩む、将来を悩む。
どうするの進路?どうするの進路?攻撃。
みんなそんなに他人のことが気になるかね?
まあ、気になるか。
悩んでも仕方がないし、アルバイトはしなければならない。サークルの仕事も、大学の課題もある。そんな訳で心も体もパンクしそうた二週間だ。
精神が半ばこんにゃくのように伸びきったあと、一つのブレイクスルーのようなものが訪れた。以外に記す。

私は意地を張って誰かを蹴落としたり、業績を争って一番をとったり、誰かを見下すことで優越感を得たりしながら多額のお金を稼いでも、全く幸福になれないのだと思った。
可愛い女性を演じ続けるのも面倒になって嫌になっちゃうだろうし、メンタルを削ってまで働けない。
麻布や、赤坂や、銀座や、青山とか、高いスーツとか、あしながおじさんの男の人とか、そういうのも多分消費して楽しいのは若いうちだけかもしれない。
ぶっちゃけ、おじさまにお寿司食べさせてもらうよりも(そんなこと一度もないが)バイトの廃棄で回ってきた中トロの方が身体に染みて美味しいと思う。
500円の心地よいカフェのコーヒーを飲んでダラダラ勉強する時間は最高。
ほんとうに、私はお手軽でお手頃な幸福のメカニズムに恵まれている。

バリバリな人生の(何をバリバリと規定するかは別問題だが)チャンスは捨てて、もっと地味に低空をのろのろ飛行するように生きたいと思う。
美しいものや優れた作品など、確かな言葉で表現して人に紹介しつづけたり
人の心に残れるような作品を作ったり
そんな仕事がしたい。
たとえ大変でも、親には望まれなくても、お金持ちになれなくても。
その方が自分にとって正直な生き方だし、身体にも良いと思う。
『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎』を観た。
菊次郎さんに惚れた。
「いい女だったよ」を連呼する菊次郎さんが「いい男」です。

様々な政治的問題についてコメントすることは鑑賞者の義務であるとは思うが、
いったんそれを横に置いて、「自炊」への自尊心に一言感想を記しておきたい。
どんなに仕事が忙しくても、帰宅前に食材を買って子どもたちへ料理を作り、
90歳を超えて一人で暮らしていても、卵雑炊を作り飼い犬へ分け与える菊次郎さんの哲学。
自分の食べるものは自分で作る。
感服。

ごめんなさい、私反省しました。
ついついチェーン店を利用して安く美味しく夜ごはんを済ませてしまおうとする事が多かったのだが。
それが低賃金労働・ブラック企業は社会に不可欠だと無言の同意をしていることになっているのだろう。

しかしもはや現代を生きて便利な生活を享受せざるを得ない時点で、資本主義による恩恵・原子力といったどこかの誰かの犠牲による恩恵を得ていることになっているのだろう。
矛盾に自覚しても行動を起こせない自分のふがいなさを今日も生きて、そして歯がゆさを忘れつつあるころにきっとまた天災が下って、反省して…
菊次郎氏のように清廉になれはしない。
最近は不真面目である。
不真面目だからこそ、授業のない平日の、
室内で無益な時間をむさぼったり、映画館へ行ったり、カフェで過ごしたりする時間が最も好きだ。

向学心と虚栄心は紙一重である。
しかし、人間一生懸命になれない時期というものはあるだろうから、仕方がない。
一生不真面目なままかもしれないが、それが本人の素質というものである。
大学に残って研究を続ける程の向学心と素質がないというだけの話で、
そんな人はさっさと出ていって自分のフィールドで頑張ればいいだけだ。
ストイックのかけらでも備わっていれば別の話だろうが、生憎全くストイックではない。

しょうもない人間だ!