あなたの人生にオッケーを出すのは
親ですか?
パートナーですか?
家族親戚?
上司?
先生?
仲間?
世間?
何が出来たらオッケーを出せるのか?
いったいいつオッケーを出せるのですか?
お正月早々ですが叫んで見ました(笑)
でもね。
世間からの親からの誰かからのオッケーを待っていたら
一生待っているだけかもしれないですよ
オッケーって、幸せも不幸も
良い悪いもまぜこぜの
この人生でオッケー!オモロイやん(o^^o)マルという意味です
人生は陰陽のバランス
皆んなが幸せになりたいと
豊かになりたいと願う
でも、オールオッケイの人はいない
どんなに夢を叶えていそうなセレブと言われる人でも人生の中で1つや2つの悩みはある
SMAPだって、アンジェリーナジョリーだって
ブラピだってそうかもしれない
例えば
失恋したことで
その人を恨んだり憎んだり相手のせいにするのか
その失恋で得たものを見るのかで
幸せだったのか不幸だったのか自分で決めている
私たちはみんな幸せになりたいと思い生まれて来ました
でも、人生にはうまくいかないこと、思い通りにならないことがつきものです
だから、人は幸せになれない。そう決めてしまっていいのでしょうか?
嫌なことがあった時、そのコインの裏には
良い意味、学びも隠れて居ます
その両方を、何となく感じたら中立の意味
ただ起こった事なんだ!にポコっとなります
こんな話があります
農夫の飼っていた馬が逃げて
お隣さんが「運が悪かったですね〜」といいます
すると、農夫が「それはどうかな」といいます
つぎの日、馬が野生の馬を連れて帰って来ました
お隣さんが「やあ、運が良いね〜」といいます
すると農夫が「それはどうかな」といいます
しばらくして農夫の息子が野生の馬から落ちて怪我をします、それを見たお隣さんが、運が悪かったですね」といいます
すると農夫が言いますそれはどうかな」といいます
あるとき、お役人が息子の徴兵検査にきますが
息子は怪我をしていたので徴兵されずに済みました
それを見お隣さんが「運が良いね〜」といいます
すると農夫が言います
それはどうかな」
全て起こることは中立なのです
それを私たちはついつい
良い事、悪いことという使い方をしています
最悪の中にも良いことは必ずあります
それを見つけられる人が
奇跡の人生を歩める人では無いでしょうか
私の師は
「外的要因に一喜一憂しない!」
と、教えてくれました
わたし自身も
こころの奥のハートチャクラのその奥に
コンコンと湧き出す泉があって
そこにゆったりと浸かっているイメージをいつもします
外的要因に一喜一憂しないとは
その泉にプカプカと浮かび安定している状態です
今起きていることが不幸だと最悪だと感じる時は
そうなのかな?と一度疑って見ましょう
自分の中の農夫が
それはどうかな?と言っていませんか?
起こることにいちいち運が良かった運が悪かったと騒いでいませんか?
喜んだり悲しんだりすることは
悪いことではありませんが
幸せとか、不幸とかに繋がるのでしょうか?
ある意味
離婚ですら中立なのです
愛し合った2人が別れる時も
悪いことしかなかったと思うかもしれませんが
離婚したおかげで、新しい人生を進むことが出来たと思えば
別れですら
中立の体験となるのです
誰かにあなたの人生のオッケーをもらうのではなく
自分の人生には自分で
これで良しこれも良しとオッケーを出せると良いですね
時間がかかっても良いのです
外的要因に振り回されているな〜と感じる時は
中立の立場で物事を見れたら
オモロイやん!と思たら
ちょっとこころが楽になれますよ
新年のおみくじ
大吉でした
これも良きかな良きかな