子間宮みかです。
Eテレ「ウワサの保護者会」
を見ました。
テーマは
「どうして勉強しなきゃいけないの?」
インタビューでホリエモンさんの言葉で
勉強はしなくていい、
好きと感じることから入るとそれが
勉強になる。というような言葉に、
それには恐れを手放して、
子供の生きていくための
好奇心を自身で育てる力があることを
信頼することや、
家庭を安全基地にすること、
その覚悟のことなど
色んなことに思いを馳せました。
こなすことに必死な学生生活は
親も必死で親子の間も殺伐としてしまい、
好きでもない勉強をさせることに
何のため?貴方のためなんて
言わないよね?と
長男が学校に通っている当時、
自分の中で葛藤を抱えていました。
親子の間がギスギスして
勉強をやらせるために
脅したり持ち上げたり、
社会や理科が好きなのに
毎日の漢字ドリルと書き取りが
負担な長男を貴方のためと言いながら
言いなりにさせようとする。
いやいやいや・・・
長男は嫌いなものをしたくない、
ただそれだけなんだ!
そんなんじゃ勉強から遠退き好きな科目も
好奇心の芽を摘んでしまい
嫌いにしてしまう。
それなのに勉強アレルギーになるほど
勉強しなきゃダメ病は
誰の恐怖なんだろう?
長男が夏休み明けに
学校に行かない宣言をしたときに
私自身の不登校
(幼少期から支配され自分の人生を
自分で考えてはいけない選べない歩けない
苦しみ)から
愛情・愛着の欠損に地獄のような苦しみを
抱え生きなければならなかった事を思い出したとき、
息子は世の中の常識という学校の世界に
合わないのかもしれません。
じっと座って与えられる授業に楽しくないと
思っているのに無理に支配や指示で
通わす事で親と子の愛情を
感じられなくなるのなら
行かなくてもいい、
愛情を感じてくれるならそれを選びます。
と先生方に伝えました。
そう、私一人対先生5人の時に。
(根に持ってる(笑))
冷たい風が吹き抜けるダメな母親を
見るなんとも通じ合えない雰囲気の中で。
そう言った事を今も後悔はしていません。
子供の人生や
人は何しにこの世に生まれてきたのか
を考えたときに
恐怖から来る世界からは自由は得られない。
それはまず大人がそこから脱した
世界に行かないと子供の安心基地には
ならない、
そう思いました。
一時は不登校をすごく恥じていました。
普通に出来ない、育てられないと。
でも今、公言することで、
子供が自分を生きれるスクールが
近くにあるか情報を仕入れてみるね🎵
とか、バイト先でも動きやすいように
シフトを組むのを協力するから、と
言ってもらったり、
ますます心が自由になっていくのは
何故なんだろう?
というほど親の私が自由になっていってます
そして子供が何を見て、
何を欲するかという衝動が出てくることを
見守っているのですが、
昨日、旦那と長男は早朝から釣り、
長女は避難訓練&友達と映画、
私はバイト、
という環境の中で
次女中学一年生は電車に乗って
自分のお小遣いで
モスバーガーを食べに行ってきたそう
たくましいね~!
学校に行かなくなって外に出る時は
いつも罪悪感を感じ小さくなっていた
時からは想像がつかない。
自分でアクションを起こした次女、
彼女の中にきっと達成感という
自由の風が心に吹いたことを想像しました。
そんな時に
良い人生という旅をしているな~と
思うのす。