内と外のギャップ |  なんとかなるさ

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川の流れのように

子間宮みかです。


幼い頃から
生き辛さを抱えて
周りを見ながら自分の在り方・居場所を
探し続ける人生でした。

それは子供の私にとって
そうしなければ生きてこれなかった
そのピリピリしたセンサーは恐怖が元でした。

世の中には"常識"や"普通"の中で
「これだけやれる」という文句を言わせない、
人よりも優れて居ることで勝つ、
もしくはそんな条件を満たした自分を
差し出すことでの自己防衛

といった条件で
劣等感を感じないよう
人から中傷されないよう
外身を鎧で固めます。

学歴や職、地位や人脈なども
その鎧として使う人もいます。

外へのアピールの鎧
もしくは知らず知らず着いた
外側への対応は

無意識の内に頭をフル回転して
損得や上下関係などを読み
いつの間にか本来の自分の姿と
ギャップが出てきます。

そのギャップは
自分をさらけ出せない・
人見知り、
という周りとの関わりに対する戸惑いと
なって出てくることもあります。

今までその鎧が恐怖で作られてきた人は
無意識に作り笑いをしたり
人にへつらったり
道化になってみたり
一見人当たりが良く難がない人として
そこにいるのかもしれません。
(元は親との関わりが原点)

そして私は何者で、
何のために
私は生まれてきたのだろう、
といった虚無感が一日の疲れを助長
させているのかもしれません。


あるがままに生きる
自分らしく自己軸を持ち
ボジティブな言葉を何回も念じ
行動を変えましょう、
と聞きます。

でもくすぶり続けている
体に染み付いた記憶、
未消化な思いを消化させない限り
残念ながら
リバウンドはついて回ると思います。

この段階で瞑想し、
自分と向き合うと
自己の中の苦しみを見ることになり
沸き上がる思いにもがくことと
なると思います。

なのでまずは
心理的なセラピーが役に立ちます。
今まで仰圧していた感情を開放させ
今を占領していた昔の感覚は
今は違うのだ、と認識させます。

そしてその段階を抜け
知らず知らずに身に付けていた
外側への対応の癖、

頭にエネルギーを置いているうちは
知らず知らずに周りの状況をはかり、
マインドがそれに知らず知らず
応えてしまう、
という環境に居続けてしまうでしょう。

瞑想とは
本来の自分に帰ること
だそうです。

丹田(ハラ)にエネルギーを戻し
意識をハラに置くと
ハラの中から沸き上がる自分の姿や
言葉に出会うと思います。

そうしてようやく
自己の内と外のギャップが少なくなくなり
自分が変われば周りも変わる
という現象が出てきます。

「すべては自分の中にある」
という言葉を体からのアプローチでするのが
瞑想なのだと思います。


それを今やりながら
外と内とのギャップが少なくなっているのを
感じています。


***
瞑想の先駆者、
その道を歩いている人に会ってみたい、
という願いが今月叶います。

一番近い東京での開催は8月か~と
思っていたところ
急遽決まったという山中湖
(先月行ったご縁繋がり?)
での瞑想会

しかもその週はその日しか空いていなかった
のでご縁を感じています。

体を通して魂を目覚めさせる。
それをこれから学んでいきたいと
思っています。

またご報告をしますね!


では!


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