私はわたしでいいの? |  なんとかなるさ

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川の流れのように

静岡県東部(富士市)

リトリーブサイコセラピー

心理セラピスト

子間宮みかですピンク薔薇


 
子間宮みか
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まずは息子のことから。

水曜日の夕方に学校に行き話をし

原因となる心無い言葉と態度をする男の子に先生から伝えてもらうという事になり、

木曜日、相手の子も心無い言葉を言ったと認めて謝りたいとの報告をもらいました。

金曜日、不安はあるものの冬休み明けはじめて学校に行き、

楽しかったと良い笑顔で帰ってきました。

 

 

家には二年弱学校に行っていない次女がいます。

当時の先生が嫌いということでしたが、

その不安を受け止める私の育て方、

愛着の形成が足りなかったからだと

思っています。

今はありのまま、を受け止めていますが、

またこの話もいずれ・・・。

 

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火曜日、リトリーブの公認セラピスト 木村貴子さんの

セッションを受けに横浜まで行って来ました。

帰りに中華街にも寄ってきました♥

 

私の備忘録として書き留めておきたいと思います。

人と会うことが怖かった昔に比べ、

今は楽しむことも出来ています。

 

けれど、家に帰るとその時の繋がりが切れて

ひとりぼっち。

そしてそこからまた外に出ようとするので、

気力も使う。

 

その安心感がはいっていなく、

いつも孤独と結ばれている感覚、

二重引用符人との繋がり二重引用符についてを扱ってもらいまた。

 

母方の家系を主に扱ってもらったのですが、

祖父の底なしの「どこまでやっても埋まらない愛→憎しみ」を

強烈に感じました。

 

祖父は家が貧しかったため、養子に出されました。

大家さんの家で大家さんの子供たちと一緒に養ってもらった祖父。

 

その中で自分の存在価値を確かめるには

人一倍努力して認められる結果を出す事。

 

大人になって農家として祖父は畑を増やし、資産を増やしました。

従順な祖母と子供6人(+一人幼い頃事故で他界してる)

の家庭を築きました。

 

兄弟の中で唯一の女で産まれてきた母。

女は手伝いという役割をしていればいい、という

男尊女卑の祖父の指針に自分も自分に価値を感じて生きたいと

女は高校に行かなくていいという祖父に土下座をして

どうにか夜学に行かせてもらったそうです。

 

母はクラスでは小さい頃から優等生だったようで

祖父に男兄弟の中で女というだけで

存在価値を下げられて悔しかったのでしょう、

 

人一倍頑張って目に見える成果を出す、

そうして祖父に認めてもらいたい!

私の父と結婚してからも意識は祖父に認められたい

その為の結婚であったし、家庭作り=

世間の中で優れていると言わせて見せる家庭を築くことだったと思います。

 

女というだけで人の役に立つきちんとした役割を果たしてきた母。

子供らしくわがままを言ったりダダをこねたりして来なかったのでしょう。

自分の子供は優れた子供が生まれてくると思っていたところに

ありのままの私を愛して!!オーラの子供(私)が

生まれて来て、いうことを聞かない私を見ると

憎しみしか沸かなかったのでしょう。

 

そして母にとって家庭は本心から望んだものではなく

世間体や人生のカリキュラムでしかなかったのだから、

幼い頃に母親を亡くした父から愛情を求められることが

面倒くさくてしかたがなかった、

 

そんなかわされてばかりの父は母をけなす事で

気持ちをわかってほしいと母にうっぷんをはらしていました。

そして私に母の悪口を母に聞こえるよう吹き込み味方につけたい、

そんな幼い歪んだやり方で繋がっていた家族。

(兄は母の優越感を満たす為、追い込まれていた。)

 

父の寂しさがマックスになるとお酒を飲んで

母に暴言と愚痴とで責め立てる、

イライラしているけれど夫に逆らうことは祖父の教え(男尊女卑)に

逆らう事だからか耐えるのみ。

 

その捌け口は同性であり無意識に感情をぶつけていいと許可が出ている

憎しみのわく私だけしかない。

言う事を聞きなさい、出来ないことは許さない、自由に振る舞うな、

幸せそうにするな、私の手助け(役割)をしなさい、

私の思い通りにしていればいい、いや、思い通りに役割をはたせ!

ヒステリーと叩かれる毎日。

そんなエネルギーの炎に焼かれながら生きていました。

 

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幼い頃、たぶん3歳頃、

隣の家の生け花の先生をしていたご夫婦に可愛がってもらいました。

 

その当時は家と家の境界は10㎝位の段差しかなく、

私はよく遊んでいると呼んでもらい、おばさんのお家に上がっていました。

 

それを迷惑を掛けると思ったのか、

はたまた父の「うちの子なのに!」という言葉を思い出すと、

悔しいと思ったのでしょうか、境界線として幼い私の背よりはるか高い

ブロック塀を作られ、知恵がついて台を使っておばさんを呼び

おばさんのところに行きたいと言うと困った顔でごめんね、

と断られました。

 

幼稚園の頃の記憶に自分の母親がシンデレラみたく

継母ではなく実の母と知って泣いた位だから

幼い頃から愛情には程遠い日々を過ごしていたのだと

思われます。

 

…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*

貴子さんのセッションでは

家系の連鎖で祖父が親に捨てられた(里子に出された)

実の親への恨み・悲しみを感じ、

その中での苦労は誰にも分からない、という心の閉じ、

頑張らなければ価値がないというドライバー。

 

それを受け継いだ祖父の子供達(母の弟二人は自死している)。

母は女で価値などなくていい、役割をこなせと育つが認めてほしい為に

祖父のドライバーを引き継ぐ。

 

母からぶつけられる激しい怒りの下にある悲しみ、そして分かってほしい気持ち、

だからそのように生きなさい!という躾の虐待。

 

夫婦の本音の伴わない関係での父の寂しさ。

それを私に母をなじる協力者として取り込もうとしている歪んだ繋がり。

 

そんなのも感じながら

好きな隣のおばさんにも会えなくなり、狭い家の歪んだ関係の中で

親の感情の捌け口になっていた日々。

 

それを感じると、

耳を塞ぎたい。

頭がぐるぐるする。

いっぱいいっぱい頑張ってもこの両親は変わらない。

 

貴子さんの「誰か助けて!って言ってごらん」の声に

幼少期の私は隣のおばさんとの関係を断絶させられた事、

やっとおばさんと塀越しに話が出来ておばさんのお家に行きたいと言うと

困った顔をして「お母さんが心配するから」と、断られたこと。

を思い出していた。

 

私は迷惑な存在なんだ、助けてなんて言っても迷惑だろう、

家の中では捌け口、密閉された中

自分を分からなくして生きなければ生きれなかった。

無理だ、助かるのは無理だ、と絶望している幼い私がいた。

 

言葉や表面上では「助けて」と言っても助からないだろうと体感を感じて

納得するまで「助けて」を言わなかった。

助けてっていっても助からなかったら死にたくなる。

人を信用するのが怖い。

体は硬直し目を閉じる。見たくない。自分の中に引きこもる。

幻想の中に留まろうとする。

 

「それでも現実を見て!その時はそうだったかもしれないけれど

今の目の前の人はあなたを助けるよ!信じてみて!チャレンジしてみて」

 

さんざん納得するまで話を聞いてもらい、

「このままでいいの?そこにずっといるの?」の声に

 

今の家族と心から繋がりたい

という心からの望みが出てきた。
ここから出たい!
 
まだ助けてもらうのが怖いし信じられないけれど
ここから出たい、その気持ちだけで
「助けて」と言ってみた。
 
受け止めてもらっても体は硬直し、
手はグーのまま。心も固まったまま。
 
そうしたら貴子さんが両親の話を聞いてあげるから
みかちゃんは自分に集中して、と言って両親の椅子を向こう側に向けた。
 
あ~両親の話を聞いてくれる人がいる、
その安堵がやっと私が私を感じていいと許可が下りた。
そう感じたら体の中から突き上げるような
うねりのようなエネルギーが暴れ出した。
 
本当は人と繋がりたい、本当は受け止めてもらいたい、
小さい頃からそれを望んでいたけれど、諦めてきていたんだ。
その本来人と繋がりたいという衝動が呼び覚まされ
嫌だー、怖かったー、とお腹の底から出る言葉で泣きながら
気付いたらしっかりと手を開き、しがみ付いていた。
 
自分の事を感じていい、
その許可はものすごい衝撃で、
しばらく頭が真っ白だった。
 
「私はわたしでいいの?」
貴子さんに聞いていた。
 
「みかちゃんはみかちゃんでいいんだよ」
 
言葉でなく体感で感じて放心状態だった。
 
 
・・・
 
気付いたことは
・親に遠慮していたこと、
・親ももしかしたら親自身が望めば
 こうやってちゃんと本音を分かってくれる人に
 会えて救われる運命その選択もあるのに
 そこに居続けるのは親自身の選択である事、
・親も選びさえすれば救われる
 (今世が無理なら来世でも)という希望
・私はわたしでいいという事。
 
頭で考える「私はわたしでいい」と
体感で感じた「私はわたしでいい」は
天と地の差があるくらいの違いでした。
 
ただ、思考に戻ってしまうとまだまだ慣れていないので
ぶり返しがあるような感じです。
 
今回のセッションは、まだ半分(腑に落ちてる割合?)とのことだったので、
心から人と繋がる・・・
幼少期のあの感覚だったからそうなったんだ、
今は必要ないといつでも思い返して腑に落ちるようにしていきたいです。
 
 
 
書くのが長くなってしまいました。
書き直し手直ししていたら二日もかかってしまいました。
 
読んで頂きありがとうございましたニコニコ
 
 

 

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