静岡県東部(富士市)
心理セラピスト
子間宮みか です
生きる為に外の世界を伺いながら生きてきた。
人の威圧的な言動にひどく傷つきやすい子供は
人の顔色を見なければ生きてこれなかった。
顔色を見るだけじゃない!
気で探ってるんだ。
全身全霊、叫ぶように「役に立つから傷つけないで」
という心の声、それが役割を生きるきっかけだった。。。
まるでくらげの触手のように
相手の望む役割を自分でも知らない間に
ヒタヒタと触手を伸ばし探している・・・・
これに気づいたのは、昨日の記事の続きになりますが、
リトリーブサイコセラピーという安心安全という場所で
人と本当に繋がるという事が分からずに
どういう繋がり方をすればいいのか?
と思いめぐらせていた時に気づきました。
職場の上司やお局様、なんかには
自然に役割を感じ、なだめ役・従う役に立つ立ち回りをする。
役に立つことでその場に居場所を得たい人には
依存することで満たせるような役割をする。
カメレオンのように様々なパーソナリティを探り
役に立つということだけで、その場での居場所を確保していた。
そういう場所では、特に絆を深めたいとかはなく、
そういう人だから人を使い捨てのように使うんだよね、と
今になってみれば私も利用をしていたと分かるのだけれど
まぁ冷めていた。
暖かいふりして冷めていた。
心も開けるはずはない。
自己愛性パーソナリティの人には、
自分の価値は人より勝ち優れていることを得ることが存在を確かめることだと分かるので
なのでそんな相手には、持ち上げることやへつらう事、逆らわない事などをする。
でも役割を演じているから本来の私ではない。
リトリーブサイコセラピーでの関わり方や
そんな役割のことを考えていたら
役割を探して演じた方が楽だ
なんていけない事が浮かびました。
そうなんです、
自分軸で生きることは、
やったことがない人にとっては
とても難しいのです。
だってね、カズ姐さんや先輩方や心の勉強をしている人は
他人に役割を期待していないのですから。
他人が自分を損なってまで、それで得られる自尊心におもきを置いていないのです。
自分と向き合い続けているから、それらを得ることで
自分の在り方を自分に問うことになるんだろうと思うのです。
だから触手が感知できないと自分の問題だと返ってくるのですよ
と、まぁ役割で生きてきたんだなぁ、といまさらながら
びっくらこいた訳で。
そこに生きる場所をかろうじて得て生きてきたわけで。
よく頑張って生きてきたよね、とねぎらいたい気持ち+
もうそうやって生きなくてもいい生き方を具体的に選ぶ時が来たよ、
と時のお知らせを頂いたような感じでした。
暖かい人間関係を欲しいのならば
役に立つことだけで居場所を得るような役割を降りる。
本当に繋がりたいという事を考えてみる。
役割で生きてきた方・・・
無意識にここまで染みついていたのか!という位、
皆さまあるのですよ
心当たりのある方、大いに葛藤し進んでまいりましょう
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