「子供の為」という『善意の虐待』 |  なんとかなるさ

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川の流れのように

人に心を開けない、
人に近づくのが怖い、
居場所がない、
消えていなくなりたい
・・・

人を回避してしまう、
回避性パーソナリティ障害の
心の仕組みを研究中


静岡県東部(富士市)
リトリーブサイコセラピー
心理セラピスト 
子間宮みか ですピンク薔薇


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同じ兄弟でも
親が同じ環境の中で
違う道を辿る

私と兄の遍歴を書いてみたいと
思います。


私の心の遍歴から↓

小学校に上がり、
母と兄に出来ないと
あまりにも叱られるので
分からないまま分かったふりをする。
いつもオドオドする。

中学に入り、とても言いなりになる
いい子の時期を過ごし、

高校生になり拗ねきった時期を過ごし
不登校になり、過食症。

19歳くらいから
言いなりにはならない!と
歯向かう時期を過ごし

親の優越感を満たす為の道化には
なるものか!と自分をダメに
することで親の鼻を折ってやると復讐し、

その一方で
この生き辛さを与えたのは
あんたのせいだ!
私の気持ちを分かれ!
分かれ!

ボロボロになった私を分かれ!
そして辛い思いをさせて
ごめんね、と謝れ!

と討ち入りをする。
けれどいつも返り討ちに会い
傷は深くなる。


謝れ!と言うものの
謝ったのなら許すから。
本音は

・・・許したいから!


そんな思いで私は歯向かう
親にとって「扱いにくい子」で
「親不孝」で「頑固者」
という存在でした。

けれど親の事を好きだから
「可愛くなくてごめんね」
「親不孝でごめんね」
「あなたの欲しいのは言いなりになる子。分かっているけど、
明け渡せなくてごめんね」


いつも

母の言ういい子になれば
愛されるのか?
vs
いやいや私は自分を捨てることが
出来ない。

その狭間で苦しんだ。
心の中は罪悪感で潰れそうだった。




私から見た兄の遍歴↓

兄はその点
親の期待に応えようと努力をしたが
母譲りの高いプライドは
中学を期に野球部で人間関係に躓き
その為に自分を恥じているのでは?
と罪悪感を持ったようだった。

母親が他の母親の中で
肩身が狭い姿、
子どもは敏感に察知する。

子供の挫折、
それでも母は兄に
自分の価値を上げるために
節目節目が来る度、
良い高校に!
良い大学に!
と燃えるのだった。

すべて、母親の見栄を張る為。

そして大学受験で兄は自分の意向とは別に
受けた受験を落ち
劣等感を増していった。


東京の専門学校に行き
卒業してもしばらくは帰って来なかったが
アルバイトでブラックな業者に
あたり、逃げるように帰ってきた。

その辺りから兄はおかしくなった。
兄も過食だったのだろうか、
高校生の頃より20kg位太り
自分の人生が上手く行かない!
そんな焦りが見えた。


兄は高校生からバンドをしていた。
ギターやドラムが上手だった。

けれどその楽器で
近所迷惑な頭が割れるような
大音量のヘビメタを
演奏するようになった。
それは何年か続いた。

親は注意をするが聞き入れられず
ご近所迷惑という汚名を
ずっと耐えながら(感じないようにしながら?)受けていたようだ。

それは溜めた怒りを放出するため
エネルギーを音楽で表現し
どうにか荒れ狂う気持ちを
制御した兄の叫びだったのでは?
と思う。


そして二十歳過ぎに
大腿骨の難病指定の病気になった兄。

手術をして松原杖をつく。
そんな兄に見下すような目を向け
「あんたはもう障害者なんだから」

と言葉を投げつけた母。

障害があろうがなかろうが
愛しい子供に変わりはないだろう?

そう思うのは子供側の思い込みだった
ようだった。


そしていつまでも遊ぶわけには
いかない!と就職を探させるが、
その足では・・・
と母が考えついたのが「医療事務」

社会的にも認められている
職業だから。と。


兄は断ったが、その足で何が出来るの?
とまるめこまれ
まったくやる気などないのに
また医療事務の資格を取らせるように
手配した。

だが好きでないのに
勉強に身に入らないのは無理はない。
試験はダメだった。


もうどこでもいいから働いて!

そんな妥協で母の兄への支配は
弱くなった。



こういった「あなたの為」という
支配を『善意の虐待』
と呼ぶそうだ。

そしてこのような家庭に育ち
苦しむ子供が大勢いる。

「普通の家庭」
で子ども達が悲鳴をあげる。



私と兄とでは見ている世界が違う。
私は自分の人権にこだわった。
親と子でも一人の人間。

兄は長男という責任も感じていたのか
子は親を大事にするべき
との価値観を尊重した。


私と兄、
今はほとんど交流はない。

私の生き方は兄には
「親を困らせて」と
見えるらしい。


本来の自分を生きたいと生きるか、
親の為の人生の中で生きるか、
私の生き方を
兄に言っても理解は出来ないと
言われた。


「子どもの為」と
「親の為」という言葉だけを見ると
一見  
愛に見え尊いと見える。

この張りぼての信条から
抜け出る事はいい人という
自分の存在を
否定する事に繋がるようで

生き辛いながらもそこに縛られ
留まる生き方を選ぶ。




でも、きっと
私と兄は親を思う気持ちは
限りなく純粋で同じだったと思う。


子供や大人になった元子ども達も
みんな同じように
親を思っているのだと思う。


それが親になったら
屈折してしまった子ども時代の
純粋な親への思いが 

子どもの為にという大義名分のもと、
子ども本人の心を無視した
一人舞台と化してしまう。

元子どもの頃に親を喜ばせたかった
方法を選択し子どもを支配して
しまうことに繋がるようだ。

親は元子どものころから
自立し成長しなければならない。



例え日常を人並みに過ごせていても
心が幸せかどうか、

自分の心に聞いて
自分の心の声を聞いてほしい。

けして
自分の心の中に住まわせている
母親(父親)の声ではなく。



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