人に近づくのが怖い、
居場所がない、
消えていなくなりたい
・・・
人を回避してしまう、
回避性パーソナリティ障害の
心の仕組みを研究中
静岡県東部(富士市)
リトリーブサイコセラピー
心理セラピスト
子間宮みか です。






幼少期から
表では先生の前で張り切る良い子、
裏では仲間はずれ、
表では猫なで声で
裏ではつっけんどんな態度。
上の人がきた時は人の仕事まで拐って
一生懸命さをアピールするのに、
普段は雑用を押し付けサボる人
おべっか程度でなく、
違う人みたいに表裏があり
使い分ける人。
・・・・
私、人って
そんなものなんだと思って
警戒して生きていました。
真面目が良いわけではないけれど
裏表使い分けれない位
どの人にどの場面でも
オドオドしていたから。

画像お借りしました。
隙を見せたら責められる。
いつも損な役目、
いつもくそ真面目。
それがリトリーブサイコセラピーと
出会ってから
表裏があるような人に
会わなくなってきたような
気がするのです。
その一つにリトリーブサイコセラピーの
同期だけが見れるFacebookが
あるのですが、
カズ姐さんの目が届かないところでも
みんな思いやりと労りと優しさで
繋がっているのを見て
はーすごいなぁ、
本気で生きている
自分と本気で向き合ってきた人達は
表裏が見られない。
そんなやり取りを
うれしく思います。
今までなぜそんな人の裏を
見るような環境だったのか・・・
それは軽く存在を見積もられ
裏の姿を見せて威圧したり、
優越感を味わうための捌け口にされたり、
回避性の人は争いが嫌いで
避けるのでゴタゴタが起きても
その場からいなくなるだけなので
相手はどうせ
暴露はしないだろうと
見込んでのことだったと思います。
自分という意志がある者には
見せない"裏の顔"。
それから私の受け方が
被害者意識だったからというのも
大きいです。
では、なぜ捌け口に
扱われるのか、
扱われる側の背景の一つとして
「生きるのが面倒くさい人」
回避性パーソナリティ障害
著 岡田尊司
の中からその理由に当たりそうな
箇所を引用させてもらうと・・・
↓ ↓ ↓
慢性外傷症候群としての回避性
命に関わるほどではない
比較的軽い衝撃やストレスであっても
それが慢性的に長時間繰り返し
続くことによってトラウマとなりうる。
その典型は収容所などに長期にわたって
拘禁されることによるものであるが
もっと身近で起きやすい状態としては
虐待や DV にさらされながら
逃げ出すこともできずに
家庭という牢獄につながれて
暮らすことである。
こうした状態に長年おかれた人は
まるで強制収容所体験をした人のように
主体性を持つことを放棄した際の
受動的な従属と自己無力感にとらわれ、
横暴な支配者に気に入られ
目の前の苦痛や攻撃から逃れることにしか
関心がなくなってしまう。
そしてそこから解放された後もまるで
横暴な支配者が今も見張っているかの
ように主体性を持つことなく
ただ受動的に無力感に囚われて
生きることしかできない。
こうした事態は特別なケースや
例外的な家庭の問題だと
言い切れるだろうか。
いっけん何の問題もないように見える
むしろ善意に満ちた団体や
家庭においても、
実質的にはそれと近いことが
起きてしまってはいないだろうか。
************************* 引用終り。
主体性を持つことを放棄した際の
受動的な従属と自己無力感。
この自己を放棄したかのような
無力感をゴミ箱のように
自分の中のイライラやストレスを
吐き出してもいい所、
と裏の顔を見せる相手は思うのでしょう。
人として敬意を示さなくても
損しない相手と値踏みされている。
ただ自分を大切にすること
それさえも怖くて出来ない
"強制収容所体験をした人のように
主体性を持つことを放棄"
これは頭で考えたところで
すぐ変われるものではありません。
幼少期からの恐怖だったら
なおさら無意識の域に
恐怖は浸透されています。
心理セラピーはそんな無意識の域に
アクセスし気付きを得ます。
そこから出たい!
自分を取り戻したい!
変わりたい!
そんなあなたを応援しています。
心理セラピーはあなたのお役に
たてると思います。

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