こんばんは みかです


羽のような彩雲が見れました(*^-^*)
自分褒めをしはじめてから
みんな
自分を好きに為るために生まれてきた
のではないかと思いました。
それが本当は簡単なことなのに
世間から見られる私
・格差(身体的、学歴、収入...)
などその風潮や考え方の遺伝連鎖で
ややこしく、まどろっこしく
もつれにもつれて
「どんな自分だったら好きになれるか」
(条件付き)
になってしまった。
それがわからないままの子育てで
世間に認められる私になったら
私は私を認められるの?
と、
「世間一般に恥ずかしくない子育て」
を右ならえでしていた。
と、言うかそれしか見てこなかったから
他を知らなかった。
そんな周りの目を意識していたら
私も苦しい
子供も苦しい
目が死んでますぞ!
子供は自分自身の事が好きだろうか?
自分自身を好きと思う前に
親の心を満たそうと必死で生きていない
だろうか?
子供の立場になったつもりで
心を想像してみる。
子供達、
自分の事 好きかなぁ
親から否定され
自分が恥ずべき存在と思い
生きる事にヘトヘトだったから
自分の事が好きと言うことが
どんなに尊いことかがわかった
今まで自分を好きになることを
例えて言うなら
花になろうとして花びらを外から拾い
付け足していた。
でもただのかざりで出来上がった花は
根が張ってないから
すぐ枯れてしまう。
その度に悲しみ
その度に「本当の自分になれない」
と嘆いていた。
でもようやく
自分の中の寒地に耐え続けていた種に
気付いた。
暖かな光がほしい
芽吹きたい 咲きたい
と、その種は私が気付くのを
ずーっと待っていた。
優しく声を掛け、手を掛け、
心を掛け暖めて
ようやく自分の中に小さな小さなお花が
咲いた。
死にたいとか、行きたいとか
すごく自分に執着し悶絶した日々
それって
自分のことがすごくすごく
大切だからだよね
その自分への大切ってメッセージを
今度は私はわたしが好きよ
という方法で伝えよう。
この小さな花が
根を張り
気持ちよい風がふく
花畑になりますように
