連鎖の中に秘められた思い |  なんとかなるさ

 なんとかなるさ

川の流れのように

こんにちは みかです。


度々登場している うちの次女
家族に対してものすごく気が強く、
小さい頃から"育てにくい"
と感じる子でした。

度が過ぎるほどの頑固で
注意しても気に入らないと
テーブルを蹴飛ばし
殴りかかってくる。

小さい頃からそんなで
4歳ころには
外で反省しなさい!と外に出しても
窓を壊す勢いで唸りながら
窓を殴り続けて反省なんかするもんか!
と折れることはまずない。

破壊力というエネルギーを
持つ次女でした。



でも駄目な事は駄目。


(その時はわからなかったけれど
きっと私の子育てを通じて
母からされたことへの悲しみ怒り
それを繰り返さない為のジレンマ
それでも良し悪しを教えなきゃ
という親としての責任やプレッシャー
そんなものを敏感に感じていたのだろう。)

次女が暴れだすと
旦那は押さえつけるかのように
"道理が通じない相手"
と頭ごなしに怒鳴り押さえ込むよう
になりました。


それが成長と共に少しづつ穏やかに
なってきています。

昨年の四年生から不登校気味
(時々週に一日休む)
が出てきて、
学校での人間関係などでも
自分の我が通らないこともわかってきて
心の線が色んな感情をキャッチ出きる
ようになっている。



けれど旦那の頭ごなしに
決めつけて怒鳴る
(昔よりトーンは下がったけど)
は直らない。

昨日も弟と二人でやったことなのに
次女だけに向かって決めつけて怒鳴る。

なんで決めつけるの?と
一回目、穏やかに旦那にもの申す私。

次女も一度目は「なんで?」と
キョトンとしていたけど
二度目の時はウェーンと泣き出した。

抱きしめて心をさすった。

今度は旦那になぜ決めつけて
頭ごなしに怒るのか問いただした。

旦那はタジタジとなるだけで
反射的に出てきてしまうので
自分でもどうしてかわからないよう。


それもわかる。



これね、世間の縮図なんだと思う。


レッテルをつけた人から見たら
その子が世間が認めるられるようになったらレッテルを撤回する。

ちまたにゴロゴロしているこの感じ。

それが我が家の中にもあるのです。

昔はそうだったから、といって
今もそうではないのに



この感じは一回言って分かってもらえる
ものではない。

(相手(レッテルをつける側)の
そうでなくては都合が悪い感も
見え隠れする気がする。)


これは分かった人から
痛み・悲しみ・寂しさ
これを伝え続け
相手が同じ痛みを経験したときに
やっとわかるものなのかもしれない。




そして次女の頑固さ
これは次女が私と同じく
家系の負の連鎖を絶ちきる為に
与えられた強さだと感じている。

強さ=破壊力=大きさ=愛

心を静かにした時に漂ってくる波動
苦しみの奥
悲しみの奥には
無条件に差し出されている愛がある。


親が好きだから
親の痛みを分かち合ってしまう(無意識に)

その痛みがわけわからず
苦しみ悶える(扱いにくい子と呼ばれる)

ここから

親と共に綺麗な愛を見つけ出し
乗り越えていく道を行くか

親にも世間にも駄目な子と烙印を
押され地獄のような苦しみに
苦悩する人生になるか


親しだいで道は違うものになるような
気がする。



親が扱いにくいと感じる子供
子供が生きづらいと暴れる心

どうかその奥に
美しい清流の川のような
子供から親へ向けられている
無条件の愛を
一人でも多く気付き受け取れますように。