

しばらくこちらのブログは
自分の気付きを書いていきます。
記録付けです。
ブログって開示をすれば
誰でも読めるのを前提で
以前は同じような苦しみをもった人が
乗り越えた未来の私を前提に
「あぁ乗り越える事ができるんだ」
と思えるような希望の一筋に
と思って書いていたのですが、
今は自分と向き合うことに
家事・子育て・バイト以外の時間は
自分自身に全力で向き合いたい
と思い今に至ります。
お互いの更新にいいね!で
読んだ事を知らせるツールにして
いましたが、その余裕もない位
私は自分を救わなくては!
と必死です。
なので気が重くなく人のブログを
読める余裕があるときだけ
読まさせて頂き
しばらくは自分の記録付けに
したいと思います。
カズ姐さんのセラピューティックの
宿題、岡田尊司さんの本と
読めたらと言われた
「誕生日を知らない女の子」という本
をアマゾンと図書館で取り寄せました。
今読んでいるのは、
「誕生日を知らない女の子」
です。
まだ読み途中ですが、
虐待に会った子供たち、
保護されても過去の虐待の影に苦しむ
そんな子供たちの事がのっています。
受けた心の傷の大きさは違いますが
その子たちに出ている心の症状が
私にもある。
本を読む以外にも
インナーチャイルドワークという
宿題があるのですが
インチャイと向き合っているうちに
罪悪感がよぎり
そこからワークが進まなくなり
その罪悪感と向き合ってみたら
過去の痛みを感じきる事から
スススーと
意識が浮上してしまう。
「解離」
と言うらしく
その状態にいると
虚しさを感じながらも
「私はたいした傷を負ってない」
状態になる。
けれど自分自身の違和感は
にじみ出てしまうもので
表面の私が
にこやかで人の温もりを求めている
のに関わらず、
無意識に押し込めている私は
人が怖い・心を開けない
そのギャップになぜ?なぜ?と
自分自身にも
イライラするし、
なんで出来ないの?と責めたりする。
人と違うと感じながらも自分らしく
生きている人が沢山いる。
その人たちと違う事は
自分の心の中に
安心安全な場所があるかどうか
なのではないだろうか。
カズ姐さんが言ってた
「自立するには依存のステージを
満たさないと!
そこが満たされないまま自立(社会に出る)
しようとしても怖いだけ!」
まさにその通りです。
今まで感じていた意識と無意識の
ギャップ。
自分と向き合うのは大変だけど
知る度に楽しい!嬉しい!
虚しいと感じ続けて
スピリチュアルな出来事が多く
あちらの世界の神様方とはちゃんと
繋がっているような気がして
虚しさがないような
感じがするけれど、
今世・物質世界?人の世で感じる
虚しいとは絆がない事を言うのでは?
と気付いたら

はい、書いてありました。まだ読んでません
そして原因があってそうなって
いたんだ、と少し楽になりました。
私ね
神様を信じているから
問題があっでも神様は答えをちゃんと
用意してくれている
っておもっていた。
もうだめだ、もうだめだ
と絶望しながらも
それは必要なことだったのかも
しれない。
今回、今まで等身大の痛みを理解
してくれる人が今までいなかったけれど
スタッフの方に相談し
すごい苦しみを味わってきた
その方から発する言葉に
理解してもらえるって
ありがたいな~
と思いました。
今降ってきた言葉
人って神様のようにもなれるし
悪魔のようにもなれる。
ただ、多勢に安堵し
いい人ぶった仮面をして
人を批判するこの世の人の多さよ
大きな苦しみも無駄じゃない
苦しみも幸せも
大きく感じるように生きれば
小さい事にはとらわれず
みんな生きていてありがとう
なんだね。


もっこうバラが咲いてきました
