今日、好きな人と手を繋ぐことが出来た。
といっても、奇跡的に偶然「手を繋ぐチャンス」があっただけだ。
しかも、二人だけで繋いだわけではない。
職場の同僚数人で輪になって手を繋ぐ場面があったのだ。
どんな場面だ?という、細かい説明は省こう。
とにかく、数人で輪になって、「では、手を繋いで…」となったのだ。断っておくが、その時の私たちの目的は手を繋ぐことにあったわけではない。

みんなで手を繋ぐと分かったとき、私は輪になるどさくさに紛れて彼の隣の場所を陣取ることも出来た。
ただ、そうはしなかった。
余りにあからさまな自分に、自分でストップをかけた。
(いくら何でもヤバすぎるだろ、私)
そして、彼に「俺と手を繋ぎたくて横に来たのかな」と思われたくなかった。それでなくても普段の私は好きのオーラがだだ漏れている。気持ちは隠せるものなら隠したい。知られてはいけない。

隣に行きたくてしょうがない自分を押し殺し、両手とも別の人と繋いだ。
(あ〜、残念だな…)
次の瞬間、思わぬことが起きた。
彼が「俺、次は一旦抜けます」と言って、私の右側を通り、輪から抜けたのだ。
その時のその場の雰囲気としては、もうあと数回は手を繋いでみようという状態。
彼は一旦、輪からは抜けたものの、私のすぐ右後ろに立っていてみんなの様子を見守っている状態。
私はドキドキしていた。次にまた手を繋ぐ時、右手を差し出してもう一度輪に入るように誘ってみたらどうだろう…。
そして、その瞬間は来た。
「じゃ、みなさん、もう一度お願いします」
次々にみんなが隣り合った人と手を繋ぎだした。
私はドキドキしすぎて、正直、頭が真っ白だった。
右の掌を彼に向け「やろう?」と言葉にならない仕草で彼を誘った。
彼の左手はそれに答えて、私の手に触れた。
といっても傍から見たらもう一度輪に入っただけ。彼の右手は別の人と手を繋いでいる。
それでも私は、大好きな彼の手にこんなに沢山の時間触れることができる事が嬉しすぎて、パニックだった。
今考えるとテンパリすぎていた。
どうやって手を繋いだらいいのか、分からなくなったのだ。
最初は掌を差し出した状態だった。
だから彼は彼の掌を被せるように置いてくれた。
そのまま繋げは正解だったと思う。
男と女が手を繋ぐとき、男は手の甲を前にして引っ張るイメージ、女は掌を前にして掴まるイメージ、だろうか。
私はそれがしたかった。
そして「小さい手だな(かわいいな)」的なことを思ってくれたらいいのにな。
それなのに。
そんな繋ぎ方、いつからしていないだろう。
習慣とは恐ろしいもので、私は手は反射的に、普段の繋ぎ方をしようと彼の手を1回離し、繋ぎ直した。
私の普段の繋ぎ方は、幼い子どもと手を繋ぐ、お母さんの繋ぎ方。
私には幼い子どもがいる。
私がしたかった男と女の繋ぎ方で言えば、私が男。彼が女になってしまった。
たった数秒のことだけど、私は心底がっかりした。
せっかくの、万に一つでもかわいいと思ってもらえるかも知れなかったチャンスを活かせなかったこと。(掴まる握り方をしなければ、手の小ささは感じてもらえないだろう)
私という人間は「お母さん」で構成されている。(断っておくが「妻」では構成されていない。自分が「妻」だとは思いたくないからだ。)それは紛れもない事実であり、彼が好きという気持ちは「お母さん」の私には要らない以外の何物でもないということ。
心はこの気持ちでいっぱいなのに「やっぱりこの気持ちは不要ですね」と再確認することになってしまった。

彼の手は大きくて若々しくて、素敵だ。指もスッキリと長くハリと弾力がある。
私は彼の手が大好きでいつもいつも見てしまう。
まさか、こんな状況で手を繋ぐことができるなんて。
私の手は温かく、彼の手が冷たく感じた。
彼は私の手をどう思っただろう。家事育児、年季の入ったこの手は、皮が厚く固くてガサガサだ。

これから先も、嬉しい事がある度に悲しい事もあるだろうこの気持ちと上手く付き合っていかなければならないのだろう。
今はこの気持ちをとても消せそうにないから。