3月31日午前10時56分粟島に上陸しました

 

九島の記事と交互に投稿していこうかなとも思いましたが・・・

 

混乱しそうなので、

 

まず荘内半島の記事をこのまま最後まで続けます

 

桜の散る頃までには終わるかなw

 

 

前回の① 粟島へからの続きになります

 

 

さて

 

時刻は午前11時29分になりました

 

帰りの船の出航時間までは約3時間

 

粟島を隅々までという訳にもいかないので・・・

 

今回は潟地区の探訪と城山(じょうのやま)へ登ろうと思います

 

11:29

粟島汽船が発着する粟島港のある潟地区には幼稚園、小学校、中学校、

 

そして昭和62年に閉校になるまで90年余にわたって船員を養成した海員学校跡があり、粟島の中心地のようです

 

 

現在地のすぐ前に粟島海洋記念館がありますので

 

まずはここに立寄って行きたいと思います

 

11:31 A

粟島海洋記念館

 

営業時間は9:00~16:00で入館は無料です

 

ル・ポール粟島という食事も出来る研修施設管理棟も敷地内にあります

 

11:32 B

北前船の係船用石柱(移築されたもの)

 

粟島は北前船の寄港地であり、島民の多くが海運業で生計を立てて来た島です

 

1:33 B

明治30年に日本で初めて誕生した海員養成学校

 

粟島航海学校沿革

1.創立 明治30年5月1日開校

2.沿革

1)創立当時は村立とし、航海課生徒のみを収容し、粟島海員補習学校と称する

2)明治31年4月 香川県三豊郡各町村組合立に変更

3)明治32年7月 三豊郡立に移管、香川県粟島航海学校と称する

4)明治32年9月 機関課を設置する

5)明治39年4月 香川県に移管、粟島商船学校と改称する

6)昭和15年7月 文部省に移管、粟島商船学校と改称する

7)昭和17年1月 逓信省移管

8)昭和18年11月 運輸省移管

9)昭和21年3月 廃校

 

11:34 C

大正9年に現在の場所に移転、新築

 

校舎は木造ながらも入念な設計と、厳重な監理の基に施工し、大正建築の美しさを今に残しています

 

11:35 C

粟島海員学校として再スタート

 

昭和21年4月 アメリカ進駐軍に校舎のみを接収されていた宮崎海員養成所が九州より移転し、

 

昭和22年4月に修業年限1カ年の粟島海員養成所として開校

 

昭和27年8月粟島海員学校と改称、昭和44年高等科(就業2カ年)に昇格

 

しかし海運不況の波と、初級船員の外国人の採用が著しくなり、志願者も減少

 

昭和62年に廃校となり、90余年の歴史を閉じました

 

11:39 C

歴史を刻んだ講堂

 

2階が講堂になっています

 

隣の部屋にピアノが設置されていましたが、今でも狂いのない音に驚きました

 

11:40 C

百年の歳月は余りにも長い

 

11:40 C

資料館の廊下

 

11:41 C

映画「機関車先生」のロケ地にもなったようです

 

11:42 C

研修棟から資料館廊下

 

11:42 C

研修棟の廊下

 

11:44 C

海洋記念館

 

この建物の2階が講堂になっています

 

11:45 C

武道場

 

伊集院静による小説(2004年)を映画化したものです

 

11:45 C

ここの桜もまだまだですね

 

11:47 C

大正9(1920)年の建築からちょうど100年

 

建物から粟島のシンボル・ランドマークのオーラを感じました

 

この海洋記念館の周辺は粟島海洋記念公園として整備され、施設の貸出等を行っており、利用する事ができます

 

 

11:50 D

テニスコートの前を抜けて城山登山口へ向かいます

 

11:50 E

漂流郵便局の案内板が在ったので寄ってみます

 

11:51 F

粟島芸術家村の看板が立っているこの敷地は粟島中学校跡

 

11:52 F

2006年から休校が続いていましたが、2014年に正式に閉校となりました

 

統合先は詫間中学校

 

現在は「粟島芸術家村」として使用され、荒れ果てていないのが救いです

 

瀬戸内芸術祭では会場にもなるようです

 

11:53 G

向こうにいかにも郵便局という格好をした建物が見えてます

 

11:54 H

漂流郵便局(旧粟島郵便局)

 

昭和39年に建設され平成3年まで使用されたとのこと

 

粟島港の隣に現在の郵便局が在ったので、移転したのでしょうかね

 

11:54 H

漂流郵便局(旧粟島郵便局) は、
瀬戸内にあるスクリュー型の小さな島、
粟島の丁度おへその部分に在ります。
ここにはかつてたくさんの物、事、人が流れ着きました。

 

こちらは、届け先の分からない手紙を受け付ける郵便局であり、
「漂流郵便局留め」という形で、いつか宛先不明の存在に届くまで
漂流私書箱に手紙を漂わせてお預かり致します。

 

過去/ 現在/ 未来
もの/ こと/ ひと
何宛でも受け付けます。

 

いつかのどこかのだれか宛の手紙が
いつかここにやってくるあなたに流れ着く。

 

漂流郵便局員

 

11:55 H

漂流郵便局には届けたくても届けられない手紙が各地から届くそうです

 

手紙の宛先は、個人や未来の子孫、思いを伝える事の出来なかった初恋の人、自分、長年の愛用品など様々だそうです

 

手紙は封書でなく、はがきで「漂流郵便局留」として手紙を送付するようです

 

※「漂流郵便局」はアート作品であり、日本郵便との関連はありません。

 

残念ながら、開局は第2、第4土曜日の午後のみで今日はおやすみでした

 

11:55 I

ふれあいガーデン

 

ここから再びテニスコートまで引き返して登山口へと向かいます

 

12:01 J

詫間町立粟島幼稚園

 

ここも閉園になっていました

 

蔓草の絡みついた桜が蕾を沢山付けていました

 

12:01 K

坂道をまっすぐ登って来た突き当りに詫間町立粟島小学校の看板が・・・

 

立派な鉄筋コンクリート造りの校舎がそびえてましたが

 

まさかの、ここも閉校?

 

2014年に閉校若しくは休校になったとの情報が見つかりましたが、

 

施設としてはそんなに古くないので、

 

生徒さえいれば、小中学校としての復活はどうなんだろう

 

でも

 

高速船に乗れば僅か15分で須田港に渡れるので少人数では復活は無理だろうなと思われます

 

12:02

運動場の刈り取られた草の長さと量を見ると廃墟化していたのではないかと危惧されます

 

12:03 K

せめて粟島中学校の様に、小学校跡地としての再施設化でも出来ればいいのにね

 

一番の高台にあるので、津波の避難場所としても最適な立地で、緊急避難場所の看板も立ってます

 

正門の横にはシンボルだった銅像らしきモニュメントが藪に埋もれようとしています

 

12:05 K

卒業生ではないですが胸が痛いですね

 

12:06

 

12:07 L

ジャングル化した中庭に遺されたトーテムポール

 

12:08 L
子供たちが姿を消して、何回目かの桜が今年もまた咲こうとしています
 
瀬戸内の過疎化の凄まじさは一昨年の志々島でも見ておりますので、10年後の粟島も心配です
2017年6月 志々島へ 5 
 
12:09 L
 
12:11 M
校舎の隣には道を挟んでプールがあります
 
城山登山口は左へ
 
12:11 M
案内板にしたがってプール手前の角を左折してまっすぐに校舎とプールの間の道を進みます
 
12:14 N
竹林が果樹園を飲み込んでしまっています
 
12:17
1合目
 
ここから尾根上に階段が続きます
 
12:26
5合目
 
ひたすら階段です
 
12:31
尾根上ですが雑木が茂っているので展望は全くありません
 
階段がなんだか枕木とレールの様に見えて来ましたw
 
この上りは何パーミルだろうww
 
12:25
ここから左手の観音様道を下ると30分で満地区へ降りる事ができるようです
 
かつては頂上直下に観音堂があり、その参道跡のようです
 
粟島汽船の待合所にあったパンフレットには、ブッシュ気味ではあるがはっきりした登山道があると書いてありましたので、下りはこのルートを利用してみたいと思います
 
頂上まで残り約50メートル
 
12:27
樹木の隙間から阿島山がちらっと姿を現しました
 
12:39
大きな岩と東屋が見えます
 
12:40
すごく展望がよさそう
 
期待に胸が膨らみます
 
12:41
頂上部には上段(幅10m四方)と下段(幅約20mx長さ約10m)の2段の廓が残っています
 
12:41
下段の東屋からの眺め
 
天候はいまいちですが、素晴らしい眺望です
 
阿島山方面
 
12:41
時計回りに紫谷山方面
 
隣に志々島、遠くに飯野山(讃岐富士)が見えます
 
志々島と高見島では
 
男はつらいよ第46作寅次郎の縁談のロケが行われました
 
高見島は多度津町になり多度津港から定期船が出ています
 
是非一度訪ねてみたいものです
 
12:43
文献によると、天正年間に西讃一帯を支配していた香川信景の武将である八倉弾正が城主としてこの城を守っていたが、長宗我部氏の侵略を受けて、城は焼失してしまったそうである
 
12:44
東屋からの眺め、時計回りに続く
 
5月1日からは令和に直さないといけないね~
 
海岸寺、詫間方面
 
12:44
瀬戸大橋、高見島方面
 
塩飽諸島の島々
 
備讃瀬戸の多島美が素晴らしい
 
12:46
阿島山
 
砂州の左側は西浜海水浴場
 
右側は東風浜(こちはま)で縄文遺跡があります
 
西、北方面と続く360度パノラマの展望は上段の展望台より可能
 
12:46
上段へ向かいます
 
12:47
城山(じょうのやま)山頂
 
12:47
祠と三角点が在りました
 
222.08m
 
12:48
ここからは360度の展望が可能です
 
時計回りにいきます
 
阿島山方面
 
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12:48
続いて紫谷山方面
 
12:48
詫間方面
 
12:49
荘内半島の大浜方面
 
紫雲出山もかつては島でした
 
その名残として大浜地区には船越という地名がありますが
 
ここを船で通り抜けていた証しと考えられます
 
この砂の堆積によって繋がった平坦な部分の真上に燧灘と川之江、伊予三島の宇摩平野が開けています
 
あいにくの春霞で遠景がイマイチですが
 
伊吹島も紫雲出山の左に見えていますね
 
その左に肉眼では法皇山脈、赤星山、製紙工場の煙突と煙が見通す事が出来ました
 
荘内半島越しに燧灘、伊吹島と宇摩平野が見通せました
 
JR伊予寒川駅から出発時にこちらを撮影した画像は⇒こちらです
 
これで両側から荘内半島を跨いで粟島を見通せていることが確認出来ました
  
半島先端の三崎灯台はちょうど伊吹島と重なるようです
 
瀬戸内海は荘内半島で荒ぶれる男性的な燧灘と穏やかな女性的な備讃瀬戸に分かれます
 
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紫雲出山方面
 
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荘内半島
 
紫雲出山、箱、三崎方面

動画でもご確認くださいませ
 
360度のパノラマ展望 時計回り
 
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荘内半島 紫雲出山方面
 
12:50
詫間方面
 
12:50
福山市方面
 
12:54

荘内半島のパノラマ写真

 

12:55

詫間駅からここまで13.10km

 

ただし歩いた距離だけでなく航走距離も含みます

 

12:55

ジオグラフィカのGPSルートログ

 

地形図には観音様道のルートは載っていません

 

粟島港から登山口までのGPSルートログ(ガーミン)

 

GPSルートログ

 

13:00

JRの時間さえ間違えなければ、今頃は紫雲出山のどの辺りにいたかな

 

でも、今日の積楽しまん会さんのFBによると、桜の開花はまだ始まったばかりとの事

 

今日は黒崎バス停からの登山ルートの草刈りをされたそうですが、何度も通らせて頂いた道です

 

いつもありがとうございます

 

こころより感謝申し上げます

 

来週の日曜日(4月7日)に皆で紫雲出山へ登るそうで参加者を募られていますが、2週連続遊んだので7日はちょっと無理だなぁ~

 

来年は草刈に参加出来れば良いのですが、畑の進行次第ですね

 

13:00

城山から塩生山を望む

 

この分だと予定どうり14持30分の便に乗船出来そうなので塩生山(はぶやま)にも登れそうです

 

数時間後には向かいの山からこちらを眺めていると思います

 

 

本日もお立寄り頂きましてありがとうございました

 

 

では、また

 

 

次回へ続く

 

 

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