1945年のこの日、第二次世界大戦が終了しました。
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今日は終戦から72年
全国戦没者追悼式が正午から日本武道館で開催されます
他にも310万人の戦没者を追悼し、平和について考える集会や催しが全国各地で開かれる
310万人の内訳は軍人230万人、一般人80万人
第2次世界大戦全体では軍人2300万人、民間人3000万人の犠牲者を出している
終戦記念日と言っても、親も戦後の生まれの世代で、核家族化により戦争体験者の祖父母からも話を聞くことが少なくなっているためか終戦の日を知らない若者も増えてきているらしい
一度始めた戦争は、止めることもまた難しい
以前何かの番組で見た記憶がありますが、この310万人の戦没者の大半が最後の半年間に亡くなっている
あと半年早く戦争が終わっていればどれほど多くの人々が死ななくてすんだのか
戦争末期になると勝ち負けよりも、本土決戦だ、一億総玉砕の掛け声のもと戦没者の数をいたずらに増やしていった
戦果の望みの無くなった特攻攻撃においても偵察機、練習機までを使い、戦果より戦死することが目的となっていたようです
昨夜NHKスペシャル樺太地上戦終戦後7日間の悲劇を観ました
なぜ終戦後7日間も住民を巻き込んだ戦闘が続いたのか?
この放送を見てびっくりしました
これまでも南樺太の戦闘、国籍不明の潜水艦による引き揚げ船の撃沈、稚内公園に慰霊碑のある真岡の電話交換手9名の自決などは聴いたことがありましたが、終戦直前にソ連が日ソ不可侵条約を破棄して対日参戦し、樺太への侵攻も始まり、ポツダム宣言受諾した後もソ連が侵攻を止めなかったのだと思っていましたが
ところが
終戦時の武装解除の命令が札幌の大本営直属の第5方面軍の司令官樋口中将によって樺太を死守せよとの命令にすり替わって樺太の第88師団に伝えられていたとは
西海岸の恵須取(えすとる)の300名の日本軍の先制攻撃によって終戦後の地上戦の火ぶたが切られたと言う
終戦にも拘らず、北海道侵攻を食い止めるために援軍も出さずに北海道の防波堤として住民を巻き込んだ遊撃戦を強いた結果、停戦までの7日間ででた犠牲者は5千人とも6千人とも言われています
戦後72年も経っての驚きの事実でした
明日でお盆も終わりますが、とても蒸し暑い一日でした
ナナも今月いっぱいは夏バテ対策にドックフードに生卵1個プラスのスペシャルメニューです
まだまだ熱中症には注意が必要ですね
では、また