今、あなたは幸せだと思う?

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第1次世界大戦で思い付く言葉
 
セルビア人青年、西部戦線異状なし、サンテグジュぺリ、賠償金、塹壕戦、毒ガス、オーストリア皇太子
 
 
クリスマスまでには帰って来られると信じて、多くの若者が出兵して行きましたが、戦争は膠着化して4年余りも続き、900万人を超える戦死者を出しました
 
ジェームスディーン主演のエデンの東の時代はまさに第1次大戦中で戦争に伴う景気変動の相場で大金を手にする場面が出てきたり、兄が出兵していったりします
 
 
今、幸せだと思うかって?
 
幸せってなんだろうって考えてしまします
 
戦争を知らない世代は、やがて戦争のない有り難さが理解出来なくなる
 
敗戦から立ち直ろうと復興に向けて歩んだ昭和の後半が懐かしく、借金積み重ねて行き当たりばったりの現代社会、次の世代はどうなるのか心配ですガーン
 
 
 
さて、
 
全国各地の貿易港で発見されつつ有るヒアリ
 
我が足元にもアカカミアリ有り
 
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同じく、昨日の愛媛新聞に
 
柳田邦男さんの日野原重明先生への追悼文が載っていたキラキラ
 
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よりよい死へ生きた人
 
柳田邦男さんが、がん問題をライフワークに定めたのは日野原先生の終末期ケアの重要性を訴える姿に啓発されての事らしい
 
氏が「生と死」の問題を深く考えるようになったきっかけは、1980年、がん患者らの「よりよい死」を考えるために「日本死の臨床研究会」が主催した講演会で、「延命の医学から生命(いのち)を与えるケアへ」と題する日野原重明先生の講演を聴講したことだった
 
この講演で先日のブログで紹介した、いのちのメッセージの中にもあった初めて担当した16歳の少女に虚偽の慰めをして、少女の懸命な願いを拒んでしまったことに触れ、「なぜあの時、しっかり伝えてあげますと言えなかったのか」70歳近くになって当時の悔いをを思い起こし、死を前にした患者との向き合い方を問いかける先生の声音は、懺悔しているように潤んでいたと柳田氏は書いておられます
 
この講演内容は講演から3年後の著書「死をどう生きたか」に収録されているそうです
 
また、日野原先生が思考力を衰えさせることなく、精神性の高い人生を送り続けられたのはなぜかについて
 
一つは、穏やかで自由な牧師の家庭で育ち、若くして信仰心(キリスト教)をしっかりと持ったこと
 
そして、医学生時代に肺結核を患い、人の痛みや悲嘆を思いやる感性や、負の経験をプラスに転じる心の持ちようを身に付けたこと
 
さらに、医学に限らず多様な分野の人々と交流し、知的好奇心が旺盛で文学、哲学、芸術などの本を広く読んでいたこと
 
特に高齢になって以降、哲学者マルティン・ブーバーの思想を「いくつになっても創(はじ)める事を忘れない」と翻訳して信条としたことが大きい
 
と考えておられるそうです
 
 
最後の時には感謝の言葉が捧げられるようになりたい
 
日野原先生がこう言うように
 
こうなれればしあわせかな
 
 
では、また