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市役所職員シオラパルクの日記~地方公務員の日常~

~地方公務員の徒然日誌~
千葉県生まれ。市役所職員。大学卒業後市役所に入庁。何度かの異動を経て、現在人事課に在職中。


今日は天気が悪く、ジメジメ。
こんな時期はどうしても気分が鬱々としてしまいがち。

今日は、少し仕事をしていく上での精神疾患について、あるいは、うつについて考える。

唐突であるが、「彼は健康のためなら死ねる人だ」と健康マニアを揶揄することがある。

今日はこれを少しだけもじって考えてみたい。

「仕事のためなら死ねる人」と置き換えて。

仕事をやめるくらいなら死ねるか?という命題があるとする。

たいていの人はそんな馬鹿な話と思うだろうが、そんなにかけ離れたことでもない。

死まで至らないまでも、精神を病むことはしばしば身の回りあるいは自分の身に降りかかる。

それは苦悩であり、生き地獄でさえあるように思う。限界に達した時人は自ら命を絶つ。
そのときの精神たるや、考えるだけで恐ろしい。

人々は一歩一歩死に向かってゆっくり歩いているところを、これらの人は駆け足で走っている状態にあるといえる。

そこまでして死に近づく必要があるのか?

そこまで思い悩むなら、(誤解を恐れずに言えば)仕事を辞めて、一度立ち止まって休んでも良いと私は思う。

仕事がなくなると稼ぎがなくなるから?
なぜその後、休んでやれることを考え、試してみないのか?
家族に反対される?
やめる理由がない?
その後、生きていく、稼ぐ自信がない?

しかし、やってみないとわからないはず。

死に向かって駆け足するくらいなら、止まって、周りを眺めてみる勇気、これも時に必要ではないか。案外みんなのんびりしてるかもしれない。

あるいは、客観視した自分は、こんな風に見えるかもしれない。
「なんであんなに息を切らしてダッシュして、自分を大切にしてあげなかったんだろう」

「同じだけ頑張れば同じだけ給料は稼げるもの」大企業から独立した仲間がいっていた。

はじめはうまくいかなくても、すぐには底を尽きることはない。もう一度ゆっくり休んで、その時の自分の思考を信じてあげればいいではないか。