韓国教授の訴追について その2~学問の自由と表現の自由~ | みかんともブログ

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こんにちは、蜜柑とマンガが好きな美悍ともです。
韓国の世宗大教授朴裕河さんが起訴された問題について述べた前回のブログの続きです。僕は大学で史学を専攻しましたので歴史の取り扱い方には結構関心を持っています。歴史では本当にいろいろなアプローチがあり得るんです。特に近現代史は難しいところがあります。その中で時の試練に耐えうる説得力のあるものがゆっくり定まっていくという感じを受けています。

事のあらましは朴さんが2013年に植民地時代の慰安婦を論じた『帝国の慰安婦』を韓国で出版したことに始まります。その内容には慰安婦と日本軍と「同志的関係があった」などの記述があり、元慰安婦の名誉を傷つけるとして非難が巻き起こったのです。今回の起訴は元慰安婦の人たちの訴えに応じて韓国の検察が起訴に踏み切りました。
慰安婦問題は報道や解説記事、新書からの知識ぐらいしかないため、言葉を慎みたいですが、当事者の人たちにはなみなみならぬ苦しい思いがあるのは想像に難くありません。政府をはじめとする日本側の関係者、ひいては国民は大きな配慮を払うことが必要です。存命の当事者の方々に何らかの人道的な支援はあってよいのではとも思います。
それとともに京都新聞の社説でも述べているように「歴史研究に司法が介入することは厳に慎まなければならない」という主張には賛成です。
学問は裁判が決着付けるものではなく、学者や市民がさまざまな意見を交わして、学説の説得力や客観性によって定説が定まっていくものだからです。
11月21日付の朝日新聞の社説「歴史観の訴追 韓国自由の危機」によれば、特に慰安婦の研究は総数など不明部分も多いですが、近年、実態の解明が徐々に進みさまざまなケースがあることが分かってきています。
朴さんの著作が、韓国で定着している、純粋無垢な少女が拉致・連行されたという慰安婦像に必ずしも一致しないため、大きな批判を受けているようです。
「史実の正否や歴史の解釈や表現をめぐる学問の自由な営み公権力が罰するのはきわめて危険なことである」(同社説)と述べるのは京都新聞と同じ危機感を共有するものといえましょう。
韓国は民主化を自力で勝ち取り、言論の自由も大きく認められていますが、近年、少数政党の解散、歴史教科書の国定化、産経新聞ソウル支局長の起訴など、政治権力が自由に介入する姿勢が目立ちます。今回の朴さんの起訴もその潮流と日本への複雑な感情が絡んだものとみられます。
しかしながら、韓国の学者からも今回の起訴には批判の声が上がっています。韓国の有力紙中央日報はそのオピニオン面でこう述べています。
元慰安婦女性たちとしては侮辱感を抱くだろう。だが公権力が朴教授を断罪しようとする世相が望ましいかどうかは別の次元のことだ。朴教授の主張を法廷ではない学問の場に持っていきそこで思う存分まで討論するのが正しいのではないか。
(12月7日付中央日報日本語版オピニオン噴水台「法廷に立つ『帝国の慰安婦』=韓国」) 


日本の新聞とこの点では価値観を共有しているのです。決して現在の日韓は反目しているだけではありません。
学問の自由を尊ぶ人々が垣根を超えて連帯することを願ってやみません。そしてまた、日本での学問の自由が今後も守られることを同様に願っています。そして、それが表現の自由の確保にも重なってくるのです。