東周BC770~BC221

春秋BC770~BC403
戦国BC403~BC221

問題Q

(⭕or❌)

①西周の完成された金文書体がこの時代の正式書体となった

②この頃の竹簡や帛書は当時の肉筆として貴重な資料となっている

③服に付いた墨は落ちないので諦めるのがよい


『東周』及び『春秋・戦国』



都を洛邑に遷したものの、もはや周王朝に盛り返す力はなかった。ここからが「東周」であるが、名目上の王位を保つことに必死になり、秩序は崩壊……。政治の実権は封建諸侯、つまり大都市国家に握られてしまった。

これより大小様々な国々が興亡する春秋時代に突入する(「春秋時代(BC770~BC481)」)。





そんな中、台頭した5人のカリスマ王、

春秋五覇。

斉の桓公・楚の荘王・晋の文公

宋の襄公・秦の穆公(※諸説あり)


彼らを中心に争いは展開されていく。


そして更にそれぞれの国内外で敵対、交流、降伏、裏切り、忖度、嫉妬、騙し討ち、大義名分のある侵略……、


そんなものが渦巻きながら、様々な思想家、言論家、兵法家などが出てきて(諸子百家)、王や有力者のマインドセットに影響を与えもした。


(余談であるが、現代においても王(経営者)や戦士(サラリーマン)に孔子・老子・孫子など当時の思想は影響を及ぼしている)


この頃から、各国独自の文化(文字など)を作られていった。


この頃には識字率も高まり、漢字の種類も爆増したことであろう。





やがて、


秦・楚・斉・韓・魏・趙


戦国七雄と呼ばれる国がしのぎを削る「戦国時代(BC481~BC222)」となる。


そして、覇者となったのが「秦」


が周を洛邑を落し東周を終わらせ、最後に楚を滅ぼし初の天下統一を果たす。秦王贏政(えいせい)は始皇帝となり……、


続く。





「続、金文」



「西周」時代に整い、固定化していった「金文」であるが、春秋時代に入ると、それを継承しつつも地域によって変わってくるようになる。



戦国時代になると、更に地方差が顕著になる。




そして、武器に「鳥書」という

もはや文字なのかもわからない、

非常に装飾的な文字も現れた。



このように春秋末から戦国初期にかけて様々な書体が生まれたが、その後は各国の交流などで少しずつ交じりあっていった(らしい)。


中国書道史ロマン
~竹簡・帛書~

この時代の肉筆は、誰も見ることが出来なかったが、1930年代、世紀の発見により当時のモノが大量に出土した!!

竹簡」や「帛書」などである。

2500年近く前に墨で書かれた物!!!

まさに書道史ロマン❗❗

そりゃ服に付いた墨が落ちないはずである。

楚の竹簡と帛書


《参考文献》