いや~~、この古典、
難易度MAXでございます😆

北魏は鮮卑族という
民族が建てた国家ですが、
先進の文化水準である漢民族に影響されて
漢化政策を行いました。
他人の良いところを取り入れる❗
柔軟ですよね~~😆
(結局、やり過ぎて反乱を
招くことになってしまうようです……💧)
宗教面でも漢民族伝統の
「道教(不老不死とか神仙思想とか)」
を取り入れ、
後には、最初否定的だった「仏教」も
広まっていきました。
多くの石窟寺院が造られ、
中でも竜門石窟の
仏像とその銘文「造像記」は
書道の歴史でもダイジェストの1つとして
あまりにも有名ですね~❗
因みに、もう1つの伝統宗教「儒教」は
漢民族以外を王様にするのはダメ❗
ってな感じだったようで、
さすがにそれは取り入れませんでした。
因みに、道教・儒教・仏教は
中国三大宗教と言われるらしいです❗

当時、ゴリゴリの仏教色の強い
「造像記」系が多い中、
『鄭羲下碑』の作者、鄭道昭は
漢民族の貴族。
貴族が「道教」に憧れのは
貴族あるあるなんですかね~~🤔
鄭道昭もまた、
「道教」に思いを馳せた1人だったようで、
そのあたりも
硬い質の石にしっかり字を刻む
「造像記」系より、
雄大な自然の崖に字を刻む
「摩崖碑」を好んだのは
無関係では無いかもしれません。
大自然の崖の方が
仙人っぽいですからね~~😆

※「みかん臨書集🍊(感想文付き❗)」
気になる方はご連絡下さい🙇