『観』・『臨』・『養』・『悟』・『創』
~書道学習の5大概念~

「臨書」は、ざっくり言えば古典を見て書くことです。技術・筆法の修練や習得が目的です。

「それを繰り返すことで深まっていき
自分のオリジナリティが作られる……」

そんな感じで
思考を止めてしまってましたが
これだと漠然としすぎて
分かったような分からないような……。

米芾『蜀素帖』

『臨書』から『創作』へ❗


書道を学ぶ人にとって重要と言われますが、

悩まされるところであり、

どうしたらいいのやら
迷うところでもあり………、


なにやら
その間には大きな大きな
壁があるような気がします。


僕自身、
「古典に立脚した作品」とか、
「古典の匂いのする作品」など、

いまいち理解…、というか、

例えば王鐸の字典から集字すれば
「古典に立脚した作品」になるなか、

「古典の匂いのする作品」である(らしい)
師匠の書風を真似たらそうなるのか、

よくわからないのが
正直なところでした。。。



しか~~し❗❗

運よくヒントになりそうな
資料を見つけたので

まとめがてら記事にしてみます。


参考文献『中国書道全集 第9巻 清』


(真面目系記事です(笑)❗)



『観』と『臨』

『臨』は手✋の訓練、
『観』は目👀の訓練、

ってな感じです❗

手だけの鍛錬だと
自分の駄目さに気づけず、
会派以外の書風や好きな古典風だけに
偏ってしまう危険があります⚠️

逆に目だけの鍛錬だと
技術が伴わない口だけ人間に
なってしまう危険があります⚠️



多分、どちらかと言えば、
手の技術である『臨』
気持ちが偏りがちになると思いますが、

目の訓練である、
意識的によく観る、しっかり観察する
『観』

も非常に重要な概念だと思います❗


『手✋は巧みに
目👀は正確に❗』

というのが基本的な
学習の方向性ってことです🍊


第一印象の好みはありますが、
たくさん『観る』ことで好きになったり
良さが分かってきたりすることが、

「目👀が上達する」
ってことだと思います❗


「最初はキライだったのに、
雨の日にずぶ濡れの子犬に優しくする
アイツを見て……」

少女マンガの王道パターンのように(笑)、
 

「古典」とは
歴史の淘汰に耐えて残った
「美の典型」、「美の宝庫」❕

第一印象でキライと決めつけてしまうのは
もったいない❗❗

ということは、

『よく観る』
=『目の鍛錬』
=『感じ方のレベルアップ』
=『人生楽し(笑)❗』

と言えるかもしれません❗


観ることで感じる力
それを手で書ける技術

これが創作への基礎力と言えると思います。
これは長い期間をかけて培っていくもので、
これこそ終わりはありません❗

だからといって、
『観』と『臨』を
完璧にしてからじゃないと
『創作』できない❗

ってわけでもありません。

その時点での深まり具合によって
作品も変わっていく

ってのも
書道の楽しさの1つだと思います。

そしてここから
どう『自分の書風』ってのを
打ち出して行くのか❗❓

『観』・『臨』
からの~~、

『養』

という概念が
大切になってきますが……、

長くなってきたので
別の機会に❗


続く………
(のか?)


そんなこんなで
第151臨目
米芾『蜀素帖』4回目の全臨です🍊