右目(去年、ぶどう膜炎併発白内障手術済)の見え方が、良くなくて
白い靄が、かかってるんです
『あ〜
またステロイド💊服用か〜
』
と思いながら、眼科の定期受診へ。
ステロイド点眼をして14年目ですが、ありがたいことに眼圧は上がりません
矯正視力⇒右目0.3/左目0.4
もし先生から「ステロイドを飲みましょう」と言われたら
「目薬を頑張って点けるので、ステロイドはどうかご勘弁を」
と言おうと、覚悟を決めてました。
検査後、先生が
「炎症は出てるけど、ステロイドを半年飲んだとしても飲み終わればまた炎症が出るから、正直キリがないです。しばらくは目薬で頑張りましょう!」
と言ってくれて、安心しましたー(;;)
次回の受診時、散瞳して検査をして、もし見えにくさが人工レンズを支えてる袋の濁り(後発白内障)だったら、レーザーで取り除けるとも教えてくれて
手術以外の方法があって、本当に良かったです
手術は怖くないんです。
ステロイドの副作用が本当にストレスなんです
目薬で炎症が治まることを願って
YouTube先生と運動したり、散歩したり、友達に会ったり、美容院やマッサージに行ったり、自分の心と体が喜ぶことをしようと思います
不安神経症なので、心配な事にフォーカスすると、とことん落ちてしまうので
不安な事
↓↓↓
実家の母(74歳)の認知症(発症から6年目)が、急激に進んできてます
実家には、脳出血で障害を持った兄もいます
昔話
シングルマザーになった時(娘4歳)、娘の父親にいっぱい嘘をつかれ、借金の置き土産もあって本当に人間不信になりました
きっと、人生で1番傷付いた(泣)
裏切りを知った時、自分が立ってる地面が崩れて、暗くて底の無い大きな穴に落ちて行く感覚でした。
それでも娘には幸せになって欲しい…と鬱やアルコール依存症を乗り越えて、全力で生きて来ました。
性格的にも、育った環境からも
『人に頼れない・甘えられない』私は、シングルマザーでフルタイムで働いて、仕事、買い物、家事、娘の送迎、学校行事、全て1人でこなして、いつも本当にヨレヨレ
心も体も、いつも悲鳴を上げていました。
帯状疱疹になったのも気付けないくらいに、毎日必死
(後に、ヒドイ神経痛に苦しみました)
自分でも、よく生きて来たなと
娘の存在には、本当に救われました
最近娘は、職場で知り合ったお友達と、飲みに行ったり、カラオケに行ったり、ドライブに行ったりと、青春真っ只中♡。+..:*໒꒱⋆.*☽:゚⋆.✰
私がここまで来れたのは、シングルファザーだったパパさんとの出会い、支えもあり、感謝、感謝です
娘が成人する前に、実家の両親が60代で認知症になって。
その時は正直、娘が独り立ちするまで待って欲しかったよ、って思いました
兄は、元々明るくて優しい、そして繊細な人で、同居する両親との関係に悩み、長年重いアルコール依存症と精神病を患い、やがて脳出血になり、障害者となりました。
倒れる前の兄は、お酒を飲んで暴れたり、電話で私や親戚一同を脅したり
そんな兄が怖くて怖くて、いつ電話がかかってくるだろうと、いつも怯えてました
まだトラウマは消えない
「お金貸して」とか
「(両親の)面倒は、お前が見ろ」とか
「手を出せないなら(介護出来ないなら)金を出せ」
とか、脅し文句ばかり
この頃は「兄さんなんか大嫌い」って
そしたら、脳出血になってしまって
今、兄は障害はあるけど、本来の優しい兄に戻っています
シングルマザー⇒両親の病気⇒実家への通い介護など、私には頑張るパワーなんて微塵も残ってなかったのに、慣れない仕事、娘のこと、パパさんの母や娘ちゃんの相手もして。
休日は自分の病院か、実家の両親の受診付き添いが3年ほど続き。
父を見送ったら、何かがプツッと切れて、完全に病んでダウン
それから、1年半以上経ってしまいました
その間、実家の事は義姉が、頑張ってくれてます
義姉は滅多に弱音を吐かない頑張り屋さんだけど最近
「つきちゃん、近いうちに来れない?」と。
義姉のSOSです
義姉の負担を、軽くするためにも、パワーを蓄えておかないと
まずは、自分の心と体が喜ぶこと、自分を毎日褒めることを大切にします
話が、あちこち飛んでごめんなさいねっ
結局、何が言いたかったかというと…。
死にたくなるほどのどん底を味わったし、頑張っても報われない事も多かった私ですが、やっぱり生きていて良かったって思います。
美味しいものを食べれば幸せ
美しい風景を見れば幸せ
推しの姿を見たり歌を聴けば幸せ
魂を揺さぶる映画やドラマに出逢えたら幸せ
etc.....
幸せを感じられるのは
生きてるからこそです🙆✨
辛くても苦しくても、見守ってくれるご先祖さまや家族(もちろん長男も)、友達がいます
応援してくれるブロ友さん達もいます
みんなに感謝して、うつむかず、顔を上げて生きて行きたいと思います