父の法事で、初めて知ったことを記録として残しておきたいと思います。
おじ(父の弟)と住職さんの話。
(実家はまだ、女子はお客さんのおもてなしがあり、男性の話にはハマれないという習慣が残ってます)
ちらっと聞こえて来た、父のこと。
父は、自分の代で工場を立ち上げ、ある食材を作っていました。
今はどこのスーパーに行っても見かけるけど、当時は本当に珍しい食材でした。
研究に研究を重ねて、その食材がおいしくなるよう、毎日毎日寝る間も惜しんで開発を頑張っていました。
母から
「ご飯だから、父さん呼んできて」
と言われ、すぐ近くの工場に呼びに行くと、クリーンルームの中で、熱心に研究している父の背中が見えました。
一生懸命な背中が今も浮かんで来ます。
今までもこれからも、父の作った以上の味や食感は、もう二度と味わえないと思っています。
本当に、世界一の美味しさでした。
父がその食材を作り始めて数年、売上も好調になってきたある日、突然ある有名な企業様より父宛に文書が届きました。
(難しい言葉がわからないので、説明が下手です汗)
その文書を、父が見せてくれたことがあります。
その有名企業が作っている食材を【父が盗作した】というようなものだったと記憶しています。
そして
【今すぐ作るのを止めるように。止めない場合は、法的措置を取ります】
という警告文のようなものだったと思います。
これって脅しだよね?と、すごく怖かったです。
父は「俺、盗んだり真似したりなんかしてない」
と言ってました。
その後のことは、子育てや仕事の忙しさなどに紛れて、振り返る余裕もなかった。
まさか、法事でその話題が出るとは…
おじ(父の弟)「兄貴(父)は、無実を訴えて、その企業と裁判をして闘ったんだよな。」
私はお客さんにお茶を出したりしてる途中だったけど、ついつい
「裁判したの?結局、裁判ってどうなったの?」
と、身を乗り出して聞きました。
おじ「父さんが(裁判に)勝ったんだよ!」
父の無実は、晴らされてたんだね(号泣)
本当に嬉しかった!!
父さん、すごくすごく、頑張ったんだね!!
田舎の小さな工場で作られていた、でも本当に美味しいその食材に、有名な大企業様が目をつけたことも凄いことだと思うし、それだけ、父の作る食材は本物だったと思う。
今でも父が作ったその食材を食べたいなぁって思うこともあるし、葬儀の時にもその食料のファンの方から、手紙も届いていた。
私の母校の給食にも使って貰ってた縁で、感謝のお手紙も頂いた。
父は、裁判でとんでもないエネルギーを使って疲れ果ててしまったのだと思う。
寝ずに仕事をしているだけでも体力を奪われるのに、人と闘うなんて、本当につらかったよね泣
家族としてはとても悔しいし、どのスーパーでも並んでる、その有名企業の商品が目に付くと、今でも思わず目を背けてしまう。
あの文書が届かなかったら、もしかしたら父はまだ現役で、その食材を作り続けていたかもしれないと、そんな風に思う時もある。
私が生きている限り、忘れないだろう。
本当に真面目で研究熱心な、家族思いの父。
でも不器用で、愛情を上手く出せない、そんな父でした。
夢が沢山あって、「線路脇(の家の土地)に、色とりどりの芝桜を植えて、新幹線に乗ってる人たちを楽しませたいんだよ〜!でも忙しくて体がもうひとつ欲しいなー💦」
と言ってたな。
時々お茶目で、笑顔の可愛い父、忘れないよ!
ある田舎の小さな工場で起きた、私たち家族にとっては、忘れてはいけない大切な物語です。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます🙇🙏