今日は夕方、河川敷を散歩した。

河川敷を散歩するのは久しぶりだった。

 

最初は違うルートを歩こうと思っていたのだけど、信号が青になるのを待ちながら川を見たら桜(の花)が流れていて、そしたらインスタグラムでつながっている人たちが桜の写真を載せていたのを思い出して、「あぁ、俺も桜見たいな。」と思い、ルートを変えて河川敷を歩いた。

 

ルートを変えてよかったと思った。

桜は花も、木そのものも、きれいで愛おしかった。

(「桜を愛でる自分はやっぱり日本人で、この肉体には日本人のDNAが流れているのか」なんてことを考えたりもした。)

 

 

今日は雨がぽつぽつと降っていたから、

傘をさしながら散歩をした。

 

雨の日も僕はすごく好きだったりする。

静かで湿り気のあるしっとりとした感じが落ち着くから①なのと、外に出なくて済むから②なのと、外に出るときに傘をさせるから③だ。

 

① 今もそうなのだが子供の頃は本当に運動音痴で、運動をしたくなかった僕は小学校の休み時間などはずっと本を読んでいた。本を読むことが本当に好きだったし、その時間は誰にも邪魔されずに運動音痴の自分を肯定することができたから安心もしていた。

② ①より、そんな人間が大人になって出不精になるのは考えられることだ。そして出不精とって、外に出ないことに対する自分の内面以外の理由があることはとても大切でありがたいことなのだ。え?じゃあ、何故散歩なんかしたのかって?屋根の下にいることにあきたからさ。

③ 傘ってお洒落でかわいいよね。

 

 

 

雨の日に傘をさしながら桜の木の下を歩いていると、雨に濡れた桜の花が傘に落ちてきて、そのままくっついちゃう。小学生の頃、傘の表面一面に桜の花びらをくっつけてきて帰ってきたことを思い出した。そしてそれと同時に、子供のころの気持ちや、友だちの笑顔や、嬉しかったことや、お母さんに怒られたことを思い出した。

 

こうなると僕はもう止まらず、僕の魂は肉体の存在を忘れて遠い思い出の中を生き始める。だから、目の前のPCを見て、自分を現実に引き戻す。新しい春を迎えたというのに、僕は相変わらずセンチメンタル。結局は延長線上の自分。

 

 

 

とにかく、日々は愛おしいってこと。

 

 

 

 

 

宇多田ヒカルさんの「桜流し」、

聞いたことないから聞いてみようと思った。

 

最近、FF7R(リバース)の実況を見ている。

エアリスを想う。

 

仕事の準備、働く準備。

ToDoタスクを一つ一つ、丁寧に正確にこなす。

 

仲間や友達や家族に支えられてる。

謙虚でいたいんだよな自分。

 

ひとつが終わり、ひとつが始まる、

また新しい旅の始まり。 

 

 

 

初めまして。