自分でもわからない

もうすぐ3年経とうとしている

裕二が目の前から居なくなって毎日思い出さない日は無かったけど

ひと月前位から
どこに居ても
何をしていても
一日中裕二を探している

車を走らせても


裕二を探しながら走っている

仕事中も病院の中の患者さんの中に裕二の姿を必死に探す


会計カウンターに

生芝(いきしば)という名字の

患者さんが来た

でもその人は(いくしば)と

読むそうだ


私は文字を見ただけで涙が

出そうになった。


文字が同じだけなのに

この人は生きていると

考えてしまう


スーパーに行っても今日こそは居るかもしれないとすれ違う

人の中に裕二を探す


家の中では裕二の残像ばかり

追いかける


最近は裕二の手の感触
頬を重ねた時の感触
足を揉んでた感触

元気だった頃は裕二の背中に

寄り掛かって私はスマホを

触っていた

あの時の背中の感触


車運転してた裕二の耳たぶを

触っていた感触


全部・・・全部がまるで

本当に触っているかのように


今は感じる

もうすぐ3年

やっと迎えに来てくれる

のかな?と考える


もう側まで迎えに来てるから

感じるのかな?


3年よく頑張ったと言って


私はこの先ずっと

こうやって裕二の迎えを

待ち続ける?


3年過ぎたら?

5年?

7年?

10年?


逢いたい

逢いたい

逢いたい


息が苦しくなる位逢いたい