久しぶりに自分のブログを
読み返して
この日のブログに又涙

これは亡くなる2日前の
ブログだった

この日の事はコーラを飲ませた
事は覚えていたのに

裕二のいっぱい愛してるからの
部分はすっかり忘れていて

今、私はあまりに辛かった
記憶は無意識に心の奥底に
しまい込んでいる事に
気づかされた。

癌の壮絶な痛みに裕二が
私の手で終わりにしてほしいと
懇願する言葉を読み
どうしようもなく悲しくなり

でもブログに残しておいて
良かった!とも痛感し

2人の歴史「裕二へ」の続きを
やっぱり書き残そうと思った

あの日バス停で裕二と
別れた私は家に着いてから
渡す事の無い
裕二への手紙を書いていた。

どうしてこうなったのか?
自問自答の手紙だった。

裕二からは阿佐ヶ谷に行って
一週間過ぎた頃電話が来た。

まだまだ右も左も分からず
ただ朝から晩まで叔父さんの
硝子店の仕事の雑用に
追われていると

そして春休みになったら
私が行く日の日程を2人で
相談して決め

あっと言う間にその日が来た

前にも書いたが前日の電話では
いいか!絶対に改札出たら
一歩も動くなよ!俺が見つける
からとうるさかった。

あの日人混みに流されながら
改札を出た私は突然誰かに
腕を強く引っ張られた

裕二だった。

お前どこ見て歩いてる?!
と怒られながら阿佐ヶ谷の駅
からお店まで歩いた

そして裕二から次に出た言葉は
俺まだ仕事残っているから
お前店で待ってろ!だった。

私はえ〜〜〜!?と
驚いたけど駅から歩いて7、8分
位のお店だったので
あっと言う間に
叔父さん叔母さんの前に

裕二は叔母さんに悪いけど
こいつ俺の仕事が終わる迄
ここに置いておいてくれ!と
言って消えた。

この時私は心の中で
私は物か?と思ったのを
今も忘れない

初めて会った叔母さんは
ジュースとお菓子を持って
笑顔でここに座りなさい!と
言ってくれ

私の身辺調査みたいな事を
始めた(笑)

名前は?年は?姉弟は?
お父さんは何処に勤めてるの?
出身地は?裕二とは何処で
知り合ったの?などなど

そのうち叔父さんも笑顔で
話しに加わって

この時はこれだけだったけど
後々叔母さんはとても可愛がって
くれた。

これは初めて会ってから1年後
硝子店は商店街の中にあった
19才になった私を連れて
商店街を買い物しながら
叔母さんは顔見知りの商店の
方々に家の甥っ子の彼女なのと
紹介してくれ

商店街の方々もあら〜!と
笑顔でお菓子屋さんは
お菓子を持たせてくれ
お肉屋さんはコロッケを
持って行って食べなさいと
持たせてくれた。

またある時は急に叔母さんは
私に見せたい所があると
賃貸のアパートに連れて
行って私が恵比寿の従姉の
所や友人の葉子のアパートに
居るんだったらここを借りたら?
と言われた。

私は自由気ままな生活が
気にいっていたので
そこはやんわりと断ったけど

暫く叔母さんの家に居候していた
裕二が私が見せられたアパートの
住人になった。

再会した裕二はあの時の事を
思い出しながら言いましたね

叔母さんは自分の子供が
男の子ばっかりで
真須美を自分に娘が出来た
みたく楽しんでいたんだ
悪かったな!と

私は全然阿佐ヶ谷の叔父さん
叔母さんには嫌な思いは無く
むしろ可愛がってもらって
嬉しかった思い出しか無い。

私が区議会議員の秘書をして
選挙カーに乗っていた時も
叔父さん叔母さんが笑顔で
裕二と並んで手を振ってくれ
てた姿は今も鮮明に記憶に
残っているよ

裕二?