修正:風ノ旅ビトEDの歌詞の和訳を試みた | Diurni commentarii Ameba

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※これは去年の9月に書いたもので、オースティンさんからメールもらってないので歌詞は間違いの物です。

正解に近いものはこちら↓

風ノ旅ビトED歌詞考察?その5


Stat sua cuique dies
一人一人に終わりの日が定まっている

Stat sua cuique dies
一人一人に終わりの日が定まっている
Mæl is me to feran
私が行くための時間


A meto maneat nostros
あなたと共に過ごす時間を得た
A meto maneat nostros 
あなたと共に過ごす時間を得た
C'est pour cela que je suis née
私はこのために生まれてきた


この道や
ゆくひとなしに
この道や
秋の暮れ


C'est pour cela que je suis née
私はこのために生まれてきた
Ne me plaignez pas
私に同情しないでください
C'est pour cela que je suis née
私はこのために生まれてきた

出典元
I Was Born for This 日本語試翻



twtterで流れてきたので、自分なりに調べてみようかと

本当は辞書引いてやりたいところですが、わたしの持っているラテン語辞書では単語がない(汗)
グーグル先生などにお世話になりました…ら、下記のようになりました


Stat sua cuique dies
彼は毎日立っている

…まっさかーw
グーグル先生とか見つけたよくわからない辞書だとそうなりました。。
まあ複数の意味があるもんな…

あっちこっちうろうろして見つけた。。たぶんこうかも…↓
古英語とかはそのままです。。

Stat sua cuique dies
全ての人々に、その日がある
※(英語訳:There is a day for everybody)
Stat sua cuique dies
全ての人々に、その日がある
Mæl is me to feran
私が旅する時が来た
※私が行く時間だ、行く時間だなど
feran=旅行、行く、長旅(to travel, go, from ,going, course, journey)


A meto maneat nostros
私達は留まるのをやめた
※meto(reap; mow, cut off)
maneat(remain, stay, abide; wait for; continue, endure, last; spend the night)
nostros(our men)
A meto maneat nostros 
私達は留まるのをやめた
C'est pour cela que je suis née
私はこのために生まれてきた


この道や
ゆくひとなしに
この道や
秋の暮れ
※晩秋の日は暮れて、誰ひとり行く人もないこの野中の一本道は、いい知れぬ深い寂しさにつつまれている
厳しい芸術と人生の道における孤独と寂寥を象徴している
出典元

芭蕉翁 大阪句集


C'est pour cela que je suis née
私はこのために生まれてきた
Ne me plaignez pas
私を同情しないでください
※私を憐れまないで下さい、気の毒に思わないで下さい
C'est pour cela que je suis née
私はこのために生まれてきた


以上。
ラテン語の部分を見てお分かりでしょうけど、意味が複数あるためにこれではないか、と言うのが見つけられませんでした。。


でも…なんとなく、お分かりですよね…?

どれにしても、何にしても、とても悲しくて切ない内容になる…わたしはそう感じました。


maneatを「remain」と言う意味にしてmetoをreapにすると「私達は残骸(遺跡・形跡など)を集める(収穫する)」になりますからね。


そうそう、以前からC'est pour~をmoiではないか、と書いてましたが。

発音がポになってないっぽいのだけど。。最後はハッキリpourと聞き取れるのでpourが正しいですね。



命を賭して旅をして

初めはなぜここにいるのかさえ解らない。


広い砂漠の中で独りだけ

他には誰もいない…


周りには広大な砂漠だけ


大きな砂の丘に何かが二つ…

そこに上ると、彼方には頂から一つの光の柱が伸びている、大きな山…



あなたの旅は、どのようなものでしょうか

ラテン語の訳が一番難しかったのですが※個人的に)人ひとりによって、Jourrneyは違うものになるように

答えは人の数だけある。


つまり、感じ方は人の数だけあるのです

何が正解、と言うものはない


個人的にこうしてみました



全ての人々に、その日がある

全ての人々に、その日がある


私が長旅に出る時が来た(=生まれてから死ぬ人生と言う名の旅)


私達は留まるのをやめた

私達はただ耐えるのをやめた


私は、この為に生まれてきたのだ


この道や、行く人なしに

この道や、秋の暮れ

(晩秋の暮れ、この道は孤独で、寂寥としている)


私はこの為に生まれてきたのだ

私を憐れむなかれ

私はこの為に、生まれてきたのだ



切なくも美しい、儚く長い旅路

それがわたしにとっての、Journey(風ノ旅ビト)です