12月31日 (12月23日〜12月31日)

 現状
 肺がん ステージ4 遺伝子変異 EGFR
 転移  骨、背骨、リンパ、脳、etc
 痛み  背骨、胸下、腰(キツい)、頭痛
 .   現在全て緩和
 症状  歩行困難、肌湿疹、不安症、味覚異常
 .   ホットラッシュ、体温調整不良、抜毛
 .   現在収まってる症状もある。
 お薬  タグリッソ、カルシウム剤
 .   オキシコドン、プレガバリン、胃薬
 .   ネキシウム、スインプロイク、
 .   ポラプレジンクOD(亜鉛補給)
 肌湿疹 ジフルプレドナート (ステロイド剤)
 .   ヘパリン ローション、クリーム

 
 1年を振り返ってみた。

 私には病気から始まり病気と一緒に過ごした
 1年であった。

 3月末に肺がんだと推測しネットを調べて
 確信して大病院に行った。

 そこから検査入院2回
 6月本格入院の時に医者に行った。

 「死ぬのは構わないから痛みだけ緩和して
 欲しい」

 それだけ痛みが酷かった。
 すべての欲望がなくなり、ただ眠りたい
 
 そして入門3日目…処方された麻薬系の
 痛み止めで半年ぶりに眠れた

 すべての人や起きた事に感謝した

 でも入院中に伯父が膵臓がんで亡くなった
 
 10月に知り合いのおじさんが肺がんで
 亡くなった。

 周りの人達が亡くなってるのに
 私は何故生かされてるのかという問いに

 妹の「私達もそういう年になったんだよ。」
 この言葉に救われた。


 最初苦しかったのは初回の検査失敗

 最初に肺の内視鏡…なんというのか忘れた
 この苦しい検査での結果が

 「肺がんの組織が見つからなかった」
 という医者の言葉に

 なんで最初から外科に依頼しなかったんだ
 という苛立ち
 
 母親の「良かったぁ」という勘違いな言葉
 への苛立ち

 これは肺がんコミュの人が「あんな苦しい
 検査なのに残念ですね」
 との言葉で救われた。

 分かってくれる人がいた。

 次に苦しかったのは痛み

 薬を何度も変えているのに2日程度で
 激痛に戻る減少。殆ど眠れない毎日

 これは憂鬱になり涙した中で母親が救って
 くれた。

 背中痛いとさすってくれて、着替やお風呂
 他沢山手伝ってくれた。
 一緒に泣いてもくれた。

 次に辛かったのは息苦しさ

 息が出来ているのに吸えないと感じる現象

 精神的なものと判断され、自分でもそう
 思っていたが、違うかもしれない。
 これは来年も出るかもしれない。

 抗不安薬が現在は処方されない薬と知って
 怖くなり、逆効果だった頃

 この日記のコメントで
 「自分も同じ現象で同じ薬飲んだ事がある」
 とくれた言葉で薬がお守り的な存在に変わり
 このコメントだけで徐々に治まっていった
 
 次に苦しかったのは皮膚病

 皮膚病が発生、毎日痒かった。
 あの激痛の日々を耐え抜いたからか
 それほどの苦しみでもなかった。

 それでも肺がんコミュで
 抗がん剤の処方から1ヶ月後ぐらいに
 発症して2週間ぐらいで治まったと聞き

 皮膚科を紹介して貰って治まった
 
 次に苦しかったのは介護者との衝突

 母親と近すぎて衝突。
 両親があまり仲良くなく、その余波が
 私にくる事で更に具合が悪くなり
 少しキレかかった精神状態の頃

 この日記に気持ちがわかるというコメント
 をみて救われた。
 その後はそんなに気にしなくなった

 まぁ両親も気にしてくれるようになった
 のかもしれない。

 次に苦しかったのは抜毛

 お風呂が怖くて入れなかった
 髪の毛がゴッソリ抜けるので

 この日記のコメントで同じ抗がん剤で
 一時期凄い抜けて治まったと書き込み
 があった。

 このコメントに少し落ち着いた。
 どちらにせよ抗がん剤は抜ける。
 カツラを考え始める余裕が出来た。

 今は治まっているものの
 恐らくいつかはなくなる。

 安いカツラを買ってみた。
 どうも付けにくいし、取れる心配がある

 まだ1回しか練習してないので
 これは今度別枠で日記に書こうかと

 今は落ち込んでないとは言わないが
 笑える余裕が出来た

 常に苦しかったのはいつ死ぬか分からない不安

 近いうちに死ぬという気持ちの持ち方と
 もし結構生きてしまった場合のお金

 これはもう誰しも抱えている問題だと
 色々な所から分かった。

 日記へのコメンタや肺がんコミュ
 肺がんカフェで同じ話題になる。

 残りの人生で何やるかは来年の課題
 半年苦しんだので半年甘えさせてもらった。

 経験を逃した癌告知による衝撃

 外部の検査機関で取ったCTなので画像
 から自分で調べて肺がんと分かってしまい

 半日落込み涙も出た。

 ただ医者から肺がんです的な告知はなく
 最初から肺がん扱いで話が進んだ。

 これは私が肺がん肺がん言ってしまっていたの
 と正直生きるのを早々に諦めて準備を初めて
 しまったせいだと思う。

 意外と終活って物凄く忙しい。
 死んだ後は身内が忙しくなる。相続を経験
 した事があるなら分かるはず。

 だからせめて自分で出来るものは自分で
 と頑張っていた。

 そして痛みに耐えられず常に死を望んでいた

 なので全く経験がなく、想像でいうなら
 本当に心配してくれる家族と一緒に
 聞いた方が救われるかもとしか言えない。
 
 1年振り返ってみて学べた事

 どんなに辛い時でも1人じゃないという
 確証が得られると苦しみが減る

 大病すると社会との繋がりがなくなるので
 尚更かもしれない。

 こういう弱った部分に詐欺がはびこる
 ので気をつけないといけない。

 孤独感というのは身近に人がいても感じる
 効果があるのは、同じ共感を得られる人から
 の言葉。

 これは本当に孤独感と不安薬から解放される

 私は最初の頃に死にたい系のページばかりを
 検索したが案外なかった。

 ご相談下さいとかばっかりで頭きたが
 今は意外と優しい社会なのかもしれない
 と考えるようになった。

 人はのど元過ぎれば熱さ忘れる

 ちなみにご相談下さい系は頼らなかった
 詐欺もあると思い耐えた。
 
 あえて要望を言えばご相談窓口に病気に
 よる辛さも加えて欲しい。大々的なタイトルで

 診療は時間短いし医者に全部頼れるわけでは
 ないから、医者は病気を診て欲しいから。

 詐欺でなければお金とってもいいと思う。

 出来れば現在同じ病気の人達の区分けで
 お話出来たらどんなに救われたかと思う。

 私はいつも人の気遣いを偽善だと思っていた
 自分は元気だったので偽善をやる方だった。

 人付き合いもあまり上手ではない。
 1人でも気にしないし、そちらのほうが好き

 でも今回人の言葉がどれだけ救いになるのか
 を学んだ。

 メールでご自愛下さいなんて固定文言返して
 たが、書いていて偽善だよなって思っていた

 でも本当に辛い時に同じ立場の人達から
 お互い頑張ろうねの言葉には涙でるし
 違う立場でも励ましの言葉は嬉しい

 貰う立場として偽善だとは思わなかった。

 過去のメールでもっと心を込めるべきだった
 かも知れない。仮病だったとしても

 もう後悔しても無駄なので、
 誰かを気遣う時はきちんと心をこめよう。

 きっと伝わる。

 病気より人との関わり方を多く学んだ1年
 だった。今までで1番学んだ。

 そして涙もろくもなった💦
 まぁこれは年なのかもしれない

 でも本当に感謝してる。

 肺がんコミュの人達や日記にいいねやコメント
 してくれた人達やリハビリ施設のお仲間さん

 そして両親や妹や親戚、小さい頃から
 お世話になってるおじさんやおばさん。

 死ぬ死ぬ詐欺みたいな事になってすいません。
 本当にすぐ死ぬと思ってたので💦
 そしてそれを望んでいたので😓

 来年もよろしくお願いします。
 大病しても全く成長出来てない私ですが、
 考えを改め、頑張って残りをいきてこうと
 思います😄

 
 ちなみに
 
 前回の猫カフェで妹から貰ったお土産
 可愛くて食べるのを躊躇した。

 カップは家にあるもの。既製品なのに
 絵が飼っていた犬にそっくりなの


 では、また何かあるまで🤗