最近中国人の観光客もたくさんみかけるようになり

その一団がいると割と大きな声で話していて

服装も少し派手なのですぐ中国人だとわかります。

 

日本では公の場で大声で話すのは迷惑と思われて

静かに過ごすのがよしとされているので

中国人の人が声が大きいのはマナーが悪いと受け取られますが

わたしもそういう民族性なのだから

仕方のないことだと思っていました。

 

そんなとき

中国人の人がなぜ声が大きい理由が書かれた記事をネットで

読む機会がありました。

そこには目からうろこの理由が書いてありました。ポーン

 

まず中国の教育では声が大きいことがいいことだと

教育されているのだそうです。

声が大きいことは人に何かを伝えるうえで大切なことであって

声が大きいことをほめられて育つのだとか。

声が大きいことが美徳のひとつなのです。

 

また、中国語自体もはっきりと喋らなければいけない

発音の難しさがあるのだとか。

 

確かに英語と中国は発音の仕組みが似ていると言われますが

英語を話すときは舌や唇唇

しっかり使って発音しないといけません。

日本語と比べると、いかに日本語は

楽に発音しているかがわかります。

 

そういうことを知らずに中国人はマナーの悪い人たちと

一概に決めつけてしまっていた。

よく知りもしないで。ショボーン

 

また別の事例ですが、少し前の香港の若者のデモも

香港の若者が血の気が多いから過激なわけではないのです。

香港での教育がそうさせているのだそうです。

 

高校で必修の『通識教育』という

政治に関する議論をする授業がさかんに

行われているせいで

若者たちは早くから政治に関心を持ち

自分の意見をしっかりと持って主張することが

当たり前になっているのです。

ですから、それを主張する手段としてのデモをやっているのです。

 

 

わたしは表に出ていることだけをみていることが多く

実際のことは何も知らないで

気づかない間に偏見を持っていたりしています。

 

物事に関心を持って、なぜそうなるのかをセットで

考えるようにしなくてはいけないんだと思いました。真顔

 

でも、それは思ったより難しい。

それはわたしが常に受け身の教育を

受けてきたせいでもあると思います。あせる

 

自分で考えて自分で行動する。

もう60を過ぎて遅すぎかもしれませんが

そういうことを常に頭の隅に置いておかないと

いけないと思いました。

 

そういう考えで物事を

いつも360度すべての方向から見渡して

その原因を探ってみれば

凝り固まった偏見や一歩通行の見方は

きっと別なものに変わっていくでしょう。音譜

 

そのことは窮屈な考えに縛られた自分を解き放って

楽にしてくれるかもしれません。

 

そもそも偏見というものはこうすべきという自分の中の

決まり事から生まれていると思うからです。

 

女性は女性らしくおしとやかにすべき。

男性は男らしくすべきとか。

 

たとえば街中では静かにすべき。

それができないのはマナー違反。

外国人や子どもや認知症の人が騒ぐのは迷惑など。

 

むやみに公共の場で騒ぐのは良くないですが

どうしてできないのかという理由を考え

決まりごとに囚われた一元的な考え方を捨てて

相手の立場に立って考えてみる。ドキドキ

 

そうすれば、むやみやたらに

イライラしたり腹を立てたりせず

お互いもっと楽に生きていけるのじゃないかなあと思うのです。