母に挨拶をするバンジーをするようにしてみて、最近母親との関係が良くなったなあと感じていたこの数日間であったが、早くも暗雲が垂れ込めてきた。
うちの母親は基本的に心配性で自信がなく、世間体の奴隷で拗ねている。
母親が心を許しているらしい高校時代からの友人にTちゃんとYちゃんがいる。
Tちゃんは近所に住んでいてその息子O君と私は同い年だ。
同じ保育園に通っていて、母親同士が仲が良いということで私とO君も仲が良かったが、小学校の学区が違ったので以来会うことはなくなり話すこともなくなった。
Tちゃんはスキーの国体選手にもなった女性で活動的でありながら優しく活発な女性のようだ。
私も以前何度か会ったことがあるが嫌味な感じがなく、自信がある人なのだろう。
そして、O君とは十年以上前に1回会っただけで今は会うこともないが、地元の小さな住宅会社の社長をしているようでありしっかりしたたくましいいかにも自立した大人で自分があり、幸せな家庭を築いているように思えた。
で、母親は折に触れ、O君が両親に(多額の旅行券により)旅行をプレゼントしたずよ(したってよ。の意。伝聞形)とか、O君が両親に温泉の宿泊をプレゼントしたずよとか「お前は私に何にも感謝を表さないな」という非難の意味を込めて私に語ってきた。
で、本日の夕飯時、母親はO君は両親や兄弟全員を温泉宿泊に招待したず。すごいなは(すごいなの意)。と、久しぶりにO君の話を私に語ってきた。
ただ、以前は「親孝行だな、それに引き換えお前は・・」という非難や皮肉の言葉を実際に発していたのだが、今回はなかった。
実際どう考えているか分からないが、何でお前は私に何か感謝の意を寄越さないんだ
と思っているに違いない。
それを聞いて私は、また来たか、と思ったが努めて平静を装うようにした。
だが、内心私はまた皮肉を言われるのか、の思いで内心ドキドキだった。
母親に皮肉を向けられて、言い返すことは可能だ。
だが、言い返しても言い返した内容とは関係なく、論理的な整合性も全くなく、ただ、私がダメなんだ、私が悪いんだと一方的に捨て台詞を吐かれてその場から去られてしまう。その状況が、また母親に負けるようで怖かったのだ。
これは母の私に対するおなじみの攻撃パターン、恥の投げおろしパターンだ。
だが、一方的にお前がダメだと言われたとしても、それはそんなに恐れるようなことだろうか。
普通の人なら、なんだあの人?ぐらいの感じで受け流せるのかもしれない。
また、私にしても、全然関係ない他人であれば、「はぁ?なんでそれが私に関係あるの?」と思い、特段動揺しないかもしれない。
だが、私は母の皮肉や詰りを、未だ、まともに受け止めているから、母を恐れているのかもしれないと思った。
もしも、私が自分のことをきちんと認めることができたら・・・・・
母からの皮肉を恐怖心なく聞くことができるのだろうか?
あるいは、冷静に「O君って俺全然付き合いないんだけど、何でそんな話をしているの?」と母親の顔を見て話すことができるだろうか。
そんな風に思った。
そして、マスターコースの同期たちのことを思った。みんな必死に自分に向き合おうとしている。
たとえ母親が自分に向き合わなくて相変わらずの母親でも、相変わらず皮肉や非難を私にぶつけるような後ろ向きで拗ねた母親であっても、それを今までのように恐れない。
仮に母親にまた、お前はダメだ、情けないと捨て台詞を投げつけられても、癇癪をぶつけられたとしても、それを受け止めてみる。
言われっぱなしで逃げられても、それで自分がどう感じるかもう一度見直してみる。
それで人生が終わるわけではない。
そう決意してみた。
もう、自分は幸せに生きるんだ。
そう決めたんだ。
なお、余談であるが、妻もO君の親孝行の話をさんざん聞かされ嫌な気分を感じていたらしく、今日の夕飯時には、「自営業だから経費じゃないですか、経費は落としておかないと損だから。」としきりに言っていた。
でも、この発言は何か言い訳しているようだ。
つまり、私たちはO君とは全く何の交流がない赤の他人と言ってもいいような関係なのに、その親孝行の話を聞かされてもなぁ・・・というのが本来のスタンスであろう。
しかし、親孝行の金はポケットマネーじゃないんだということを必死に推測して主張するのは、もしそれがポケットマネーだった時の後ろめたさの裏返しに他ならないからだ。
恐ろしいもので妻もいつの間にか術中にはまってしまっているのだなと思った。