昨年の参拝記録です。
次はいよいよ竹生島神社(都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ))へ向かいます。
まずは国宝の唐門。
この『唐門』は、秀吉を祀った京都東山の豊国廟に建っていた『極楽門』を豊臣秀頼の命により片桐且元を普請奉行として移築されたものです。移築の際、土地の条件から観音堂に接して建てられています。桧皮葺、建物全体を総黒漆塗りとした上に金鍍金の飾金具が散りばめられ、虹梁中央の蟇股の周囲には鳳凰や松・兎・牡丹の彫刻を、二枚の大きな桟唐戸や壁には牡丹唐草の彫刻を極彩色塗りとして飾っています。豪華絢爛と言われた桃山様式の『唐門』の代表的遺構です。

文献としては、醍醐寺座主三宝院義演による日記『義演准后日記』に、大坂城の極楽橋が豊国神社に移築された旨の記述があり、また、豊国廟社僧の梵舜が『舜旧記』 にて、豊国極楽門を竹生島に寄進したとの記述を残しています。この二つの文献の記述により、大坂城の極楽橋が竹生島宝厳寺に移築されたことは間違いないでしょう。

さらに平成18年、オーストリアにあるエッゲンベルグ城にて『大坂城図屏風』が発見されました。その絵中には『極楽門』の前身であったと伝えられている大坂城の本丸北方に架けられていた『極楽橋』の姿が描かれており、その絵図から判断して、『唐門』こそが、秀吉が建てた幻の大坂城の唯一の遺構であろうと昨今注目を集めています。 以上 竹生島宝厳寺HPより抜粋

写真撮り忘れてますが入って進むと観音堂です。
【観音堂 本尊秘仏御開扉】
2024年10/12(土)~10/21(月)開扉時間9時~16時
此方も行かなければ!?

そして重文の舟廊下へ

歩いて行きます![]()


彫刻がキレイですね![]()

そして国宝の竹生島神社本殿でお酒2本お供えして祝詞と般若心経奏上してご挨拶とお願いを申し上げます。

今から450年前、豊臣秀吉が寄進しました伏見桃山城の勅使殿を移転したもので、国宝となっています。 本殿内部は桃山時代を代表する、優雅できらびやかな装飾が施されています。
天井画は60枚で狩野永徳光信の作。 黒漆塗りの桂長押には金蒔絵(高台寺蒔絵)が施され 要所には精巧な金の金具がうたれています。
※現在、内陣の拝観は中止しています。 以上 竹生島神社HPより抜粋
本殿向かって右側の江島大神・厳島大神

本殿向かって左側の天忍穂耳命・大己貴命

誤ってシャッター押す(笑)

八大竜王拝所

竜神拝所
龍神祝詞が書かれた板があったので祝詞と般若心経奏上して更に龍神祝詞奏上

宮崎鳥居
かわらけを投げて鳥居を潜れば願いが叶うというものですが、私はしません。

龍と白巳大神(白蛇神)?

白巳大神(白蛇神)

中には狛蛇?と白蛇の付いた石、打ち出の小づちが置いてありました。
日本五弁天と言われる安芸国 厳島大神(安芸ノ宮島)、大和国 天川大神(天河神社)、近江国 竹生島大神(今ココ)、相模国 江島大神(江島神社)、陸前国 黄金山大神(黄金山神社)
一応、全部行ったけど江島と黄金山は稲荷巡りだったので弁天さんお詣りしてません(笑)

福小判が置いてあり、最初間違って右の古い小判をいただいてしまう(笑)
写真を撮るために拝所から戻って気が付くと言うオオボケっぷり(笑)

舟廊下の足元

下から見ると大きさが分かるかな?
すっかり忘れていたので簡易般若心経だけ

戻って全体図を見る

まだまだ時間はあるので、もう一度弁天さんに逢いに行く![]()
流石に2回目の特別拝観はしなかったけど外陣で御礼を言って戻る。

そう言えば階段上ってすぐ左に妙音天堂があるが記載なしなので何もナシ

納経所はこの時間はガラガラだった

そういえば竹生島神社の扁額 どこにあったのか?

写真の撮影順で言えば境内から階段降りるまでにあるハズ?

帰りに瑞祥水をペットボトルにいただいて帰る

とは言え帰りの便まで30分以上あるのでお土産買って適当に過ごす

こちら長浜行きの便

ヒマなので

写真を撮ってボーっとしてる(笑)

帰りのフェリーが到着!

さて帰ろう
さらば竹生島 次回は10月に!

船内でうたた寝して無事、今津港に帰って来た

行く前に撮っとけよ(笑)

帰りの白髭神社

帰りも湖西で少し混んだが特に渋滞も無く無事帰宅!
スムーズに行って帰ってくることが出来て感謝感激!
教えて下さった「たまごちゃん」 さん、今回もありがとうございました。
お疲れ様でした~





