人の真心が粗末にされない日本にしたい | 統合失調症mikanの「差別される側の論理」

統合失調症mikanの「差別される側の論理」

mikan個人のブログにしましたが、精神障害の話が中々書けなくてすみません。どうしても政治のほうが興味があり、ついつい政治的な話題になってしまいます。FBFには、「障害者が政治を語る」ところが、私のブログの売りだと言われました。

私は法律の基本以外そんなに勉強できているわけじゃないし、福祉の知識も自分の経験値で得たものだけから、世の中こうしたほうがいいんじゃない?って書いていること、理論的に見たらめちゃくちゃ書いている部分あるかもしれない。

だけどね、理論が正しいか正しくないかより、そこに優しさがあるかがこれからは大事にされないとダメだと思うんだよね。
今の日本優しさなくなってるじゃん。

お花も広い公園も減っちゃった
子供の笑い声も聞こえなくなっちゃった
みんな変な我慢ばかり強いられて、心を解放する場所もない
音楽やアートに触れる場所もそんなにあるわけじゃない。

勉強勉強勉強、仕事仕事仕事、
そればっかりで現実逃避するときはお花畑でもアンドロイドみたいになっちゃった人ばかりじゃない。

私、自分が障害者として生まれてきた故にとんでもない地獄をこれまで生きてきたし、障害者に社会がついてきたひどい嘘、本当に本当に怒ってるけど、それでも今ちょっとは自分が障害者でよかったと思ってる。
なんでかって?
一度は健常者の世界に無理やり自分を合わせようとしてボロボロになっちゃったけど、哲学やってるわけじゃないけど、人として大切な本質的なものに気づいたからだよ。

うまく言えないけど、人の真心が粗末にされない日本にしたいんだよ。
さっきのれいわ祭りで木村さんは「障害者と健常者をわけない教育」に力を入れたいって言ってたし、船後さんも人間はそこにいるだけで価値があるって言ってた。
他の人たちも異口同音だった。

そうなるには人の真心が粗末にされずに尊重されていかないとダメだと思うんだよ。
だから私の言ってることが理屈では変でも、私が私なりに今の世の中のことでちゃんと自分なりに考えて色々言っているのは忘れないでいてほしい。

お友達の皆様にお願いでした。