今日は「福祉」についてSさんの投稿を転載させていただきます。
————以下引用。—————
日本では、福祉は施しという意味が強く、慈愛であったり、手を差し伸べるという感覚で捉えられています。
でも福祉という言葉の中に施すという意味は無いと思います。広辞苑を調べても出てきません。
まして、福祉という言葉の英語はwelfar ですが、welfarを辞書で調べてみると[幸福]であって施すという言葉は出てきません。
福祉国家を目指すというのは国民の幸福を第一に目指す国家ということです。
この福祉という言葉を弱者救済とか、施しという意味にすり替えて教えこんできたのは江戸時代から日本の為政者です。
また、私達もそのように思い込まされてきたのです。勿論私もそうでした。しかし調べて行けば行くほど日本の考え方のほうが世界と違うことがはっきりしてくるのです。
日本では福祉政策というと国民の幸福に向けた政策ではなく、国からの弱者への施しということになっています。
こうすれば予算が無ければ福祉予算を削っても お金がないなら仕方がない という気持ちにさせることが出来ますので都合が良いわけです。
また、人々の中にも福祉社会は、一般社会とは別のものとなっていますので福祉予算を削っても障害を持っていない人達や普通に働く事が出来ている人達から驚きも反論も起きにくいので、国としては大変やりやすいのです。
また福祉活動をするということが何か特別に良いことをしている事に見えるという効果もあるわけです。
だから厚生省(現 厚生労働省)という省庁を作って福祉政策はそこに任せたのでしょう。
アメリカには特別に障害者の事を扱う省庁などは無いと思います。何故ならそれらはADAで取り扱う事で障害があるかないかで社会参加を区別する感覚が無いからです。
戦後に私達が手に入れた憲法には国民の権利がはっきりと謳われています。決して施しを受けるのではありません。
私達は権利として25条生存権、26条教育権、27条就労権という権利を持っており、国はこれを守らなければならないと明記されています。
しかし経済優先を掲げる政府は福祉国家どころか、さらに憲法9条をも改変して武器を作って売る事ができるようにしたい、
何よりこの憲法を守りたくないから為政者達は憲法改変を叫ぶのでしょう。
何故なら憲法とは為政者の暴走を国民が制する為に有るものですから。
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以上引用させて頂きました。
Sさんも仰る通り、憲法とは権力を縛るためにあります。しかし、この憲法を変えたい人たちの改憲案では、国民の権利は最小限、義務ばかりたくさん盛り込まれています。
(さらに、緊急事態条項が取り入れられれば、戒厳令を敷いたら無期限に、司法、立法、行政が三権分立でなく、首相が全てを決めらる独裁政治になります)
福祉を「弱者への施し」と捉えていると、健常者や定収入がある人は「自分には関係ない」と思うので、予算を切り捨てても批判が少ない、ということも引用文中に出ています。
福祉に回す予算はもったいないけど、米軍の基地を作ったり、戦闘機を買うお金は惜しまない政権です。
弱者への施しではなく「国民の幸福」を考え直してみませんか?日本は「国民の幸福度」156ヶ国中、58位の国です。福祉が充実しているとは全く言えません。なぜ、国民が幸福になれる代表者を選ばないんですか?
現政権では、とても国民が幸福になれるとは思えません。国民の命よりもアメリカのご機嫌とりが大事な政権です。
国民の幸福を考えたら、医療費、年金、税制度、介護、ブラックな労働、非正規雇用、教育、その他色々な事で、国民が幸福になれない理由に気づくと思ます。