人間を接ぎ木できるはずないのです。

植物の接ぎ木も理解が乏しい文鮮明というのは、植物の接ぎ木の話を聞けば聞くほど解って来るのですが、組織の接ぎ木を繰り返し聞いて行くうちに「接ぎ木」話に翻弄されて行くようになります。

この宗教の接ぎ木というのは「祝福」を受けなければならないと転換していくのです。文鮮明がツギキ(セイカンケイ)のことでもあると思える部分もある。様々なニュアンスで信者の勝手な想像へと導いて行く。

(母子協助、重生、復帰などすべてリアルの語りはセイに関してだけど、淫行からアダムエバが始まったと教えている組織では、それがセイのことだということに到達するには、かなりな時間が掛かる。アサハラどころではないインラン教祖であったと信者の何割が知ることとなるのだろう・・・)

教祖の妄想と信者の妄想が交錯して人間としての本来の姿が変貌していくって感じでしょうか?

教祖を知れば知るほど、身勝手な男というのは理解できます。

こちらの地方では熟した甘柿(渋柿)のことをウンダラ柿って言ったりします。それを平らげる?リアル兄弟姉妹には分けてあげなかったのでしょうかね?

食い物も女も食べ放題の文鮮明( ´艸`)

 

転載、加工違いあり。

 

メイさんの記事転載加工あり。

89:文教祖の趣味

彼が語る「接ぎ木」とは、本当に接ぎ木だろうか?

 

 過去の根を「切り捨て」、「接ぎ木」し、芽と大木の根本と枝を「切り捨て」、新芽も「切り捨て」、今まであったものを全部「切り捨て」、新しい歴史の父母から新しい伝統を受け継いで、新しい統一教会の文化的背景を中心とした後継者にならなければならないのです。
   一九八七・六・一四、本部教会でのみ言

 

 根を「切り捨て」
 今まであったものを全部「切り捨て」

 

絶滅だ。種の絶滅。
夏ミカンさんが同様のことを指摘しており、奇遇と思ったが、奇遇というより、文鮮明が他で語っている内容を見ても、同じ結論に導かれる。

 

つまり、接ぎ木する何物をも我々は残してはならない。
過去を断ち切り、今まであったものを全部「切り捨て」、全てをメシヤに明け渡して、空っぽになり、完全な無産階級として新たに出発せよ、そうすれば、新しい統一文化の下で、いわゆる真の父母が全て取って代わるのだ、ということになる。

 

接ぎ木といえば、渋柿の木の下部を残して、その台木に甘柿の枝を接ぎ木することで双方の長所を活かす方法はあるが、根を「切り捨て」全部「切り捨て」となると、接ぎ木の手立てがない。それはもう、接ぎ木とは言わない。

 

彼の言う統一とは、一党独裁型の乗っ取りを意味する。
それは、決して統合でも調和でもなく、理想でも平和でもなく、授受作用でも共存共栄でもない。

 

彼は、文化的絶滅と種の絶滅、集団の抹殺を、日本に対してもキリスト教徒に対しても望んでいるようだ。

 

 十億近くおるキリスト教を、前に立たして一遍打ちするんだね。原爆みたいに。
 広島の上空に、一つ何か珍しい物が落ちた。そういうその眺めと、その人達は皆一遍焼きにして死んでしまったように、そういう事になるでしょう。
 だから、もう素晴らしい事を我々は準備しておるね。
  原理大修練会、摂理的同時性講義途中の御言
  1967年6月26日

 

 

ここで、柿の話に戻ろう。

 

 私は熟した柿を本当によく食べたのです。先生が食べ始めると、一つで終わることはありません。それが家にあれば、全部なくなるまで食べたのです。食べるのが趣味です。
  文鮮明 真の御父母様の生涯路程

 

全部食べ尽くし、食べるのが趣味の教祖と、まるで食べられるのが趣味、食べ尽くされるのが信仰、のような信者達とで、宗教の仮面を被ったサドマゾ・ゲームが続いているかのようだ。

 

文鮮明夫妻が当初住んでいたソウルの自宅裏庭には、柿の木があって、彼等は、いつも窓から柿の木を眺めていたという。
それにしては、柿への関心が薄い人達だ。

 

 

たとえ甘柿でも、未熟なうちは渋い。
渋柿でも、熟して柔らかくなったりすれば甘い。

 

渋柿の方が歴史的に断然古くから世界にあり、鎌倉時代までは柿といえば渋柿のことだった。
鎌倉時代に日本の禅寺で甘柿が発見され、渋柿から突然変異で生じたようだ。
それが日本からヨーロッパ、そしてアメリカに伝えられた。

 

柿の学名は、スウェーデン出身の植物学者が命名した「Diospyros kaki (神の食物 カキ)」であり、ギリシャ語と日本語の組み合わせになっている。

 

柿の種類は豊富で、一説によると渋柿が700種以上、甘柿が400種以上あるという。

 

渋柿の方が多いことからも解るように、歴史的に古くからあり、病害虫に強い渋柿の用途は広く、干し柿は、旅先や戦場での携行食としても珍重された。

 

意外なことに、糖分は甘柿より渋柿の方が多く、その特徴も活用されてきた。

 

 

文鮮明が自然に関して無知、無頓着で探求心に乏しく、傲慢で短絡的発想なのには理由がある。

 

 

日本はサタン国家なので、火山や地震が多い、という風に彼は言う。

 

そのように罪悪視することで、蕩減をほのめかし、献金させて行くことを彼は得意とする。

 

彼は、自然を見ても、いかにしてそれを人間支配の口実にするか、女と金の獲得につなげるかという悪知恵が働くことで、甘い汁をたっぷり吸ってきたのだろう。

 

そういう姿勢では、何十年経っても、自然現象を客観的に見ようとせず、謙虚に学ぼうともしないだろう。

 

彼にとって、自然界の事実も、歴史上の事実も、関心外であり、関心あるのは、いかにして自分の方が上に立つか、ということになる。

 

相手の足を引っ張って引きずり降ろし、権力を握ることしか眼中にない政治家達に彼は類似する。彼の権力志向には、下手な政治家達も顔負けだ。

 

 

地球上に生物が存在せず、従って堕落も無かった時に、地球は活火山に満ちていた。
地震も多かったろう。

 

その後に誕生した植物、動物、人類、その一部が氷河期を乗り越えることができたのは、火山のお陰だという。
火山周辺の暖かい土地ならば、植物、動物、人類が生存できたという。

 

火山があり地震もある、そこには、新たに島が誕生するエネルギーもある。

 

朝鮮半島にも地震はある。過去に大噴火し、またの大噴火を危惧されている白頭山もある。
今年の夏、イ・ビョンホンが出演する大パニック映画『白頭山(ペクトゥサン)大噴火』が日本でも公開される。

 

文鮮明のように、自然災害を他人事とし、余計な摩擦を増やす教祖では、毒々し過ぎる。

 

ただし、地震が来るというデータを専門家が発表しているのに、備えずに被害を大きくした日本の住民、地方自治体や政府の油断、怠慢は、決して軽視できない。

 

 

映画『白頭山(ペクトゥサン)大噴火』
 

 

~~~~~~~~転載終わり。

 

「接ぎ木」=「性関係」→教義で他を根絶やし→文鮮明を頂点とする世界・・・すべては、妄想世界

混淫教崩れの文鮮明教の初期の信者たちは、淫乱つながり性関係つながりというのを理解しているから、「接ぎ木」という認識は教祖とのセ*クスのことだとすぐに連想で来ただろう。それが真実なので、植物の接ぎ木を言い始めても変おかしい?と感じていたのは無理はないことだった。

 

>私は熟した柿を本当によく食べたのです。先生が食べ始めると、一つで終わることはありません。それが家にあれば、全部なくなるまで食べたのです。食べるのが趣味です。

 

文鮮明のコトバを聞いて、そんな焼酎漬け渋抜き甘柿食べたら腹壊すし(文鮮明の生家のある地方ならすべて渋柿で、甘柿は熟しきった柿か焼酎で渋みを消した柿しかない)、兄弟姉妹には分けないのか?と思ったけど、「女を全部食べる・性関係を持つ」という隠語だったんだなぁ~と、後に理解した。

すけこましエロジィ~がよく言うよなぁ~。

情報が増えれば増えるほど、異常なサイコパス性犯罪者だと解って来る。byナツミカン

 

#統一教会#文鮮明#性儀式#性犯罪#接ぎ木#柿#すけこまし

 

 

50代さんの証言|ナツミカンのブログ (ameblo.jp)