文教祖は朴氏を背負わなかった「海」ではなく「凍った川」を渡った

お父様の心情を求めて 金元弼氏の言葉の個人的考察<嘘が多すぎ!

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一番下に秀吉の朝鮮出兵・「日韓併合と李承晩ライン」<ルールを守るのが人!人でないモノは獣!韓国よ自覚あるか! ・他を貼り付けました。

その中に当時の白人社会は、人間としてのルールを守ること。守れないのは「獣」という認識だったようです。嘘を付かないは、人間としての基本ではないでしょうか。相手の為に嘘を付く場合もあるかもしれませんが、統一教会は捏造だらけです。関わった私たちは結局人間もどき「獣」が教えた宗教にハマっていたというのが現実なのかもしれません。(統一教会の現実の酷さは様々記事にして来ました。「獣」と関わってはいけなかったのです!)調べれば調べるほど嘘だらけなのですからね。これだけの嘘を、さも事実と言わんばかりに打ち立てる教祖、幹部・・・。

嘘吐きはドロボウの始まりと日本ではよく言われます。

 

人間として生きて行くなら、誠実さが必要なのは当然のことです。

「誠実」これを失ったら仕事にもなりません。

韓国と関わった福沢諭吉先生は、関わるな!と述べています。他にも非韓三原則なるものまであるのが現実で、韓国と関わると被害を被る可能性が高い。しみじみ納得!

では、側近の捏造を探して見ましょう。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~yi1800/akasi/9705.html#002

青字赤字はナツミカンが入れた部分と、参考URLと転載部分。

特別インタビュー お父様の心情を求めて

金元弼  Won Pil Kim 一九二八年平壌生まれ 一九四六年入教



 ―――一九九六年七月で金元弼先生は、信仰歴が五十年になられました。一九四六年七月以降に生まれた教会員にとっては、生まれる前から金元弼先生はみ旨を歩まれていたことになります。

 さてきょうは、真のお父様の路程についてお尋ねしたいと思います。初めに、お父様の歩みをどのようにとらえていけばよいかについてお話を伺いたいと思います。


 お父様の路程については、私の話よりもお父様が直接、語られたみ言が一番正しいものです。いいように聞こえることしか信者に伝えてないよね。日本に来る時は完全に混淫教の流れの血分けつながりの統一教会だって伝えないで誤魔化してたでしょう。特に北韓時代は、私が幼いときでしたから、お父様や当時の社会に対して、とても幼い観点でしか見ていないのです。

 そこでお話ししたいことは、今のお父様をよく知るということが基本でなければならないということです。なぜかと言えば、現在のお父様を知ることが、過去のお父様を知る唯一の正しい道なのです。それ以外にありません。
過去もその時も捏造だらけの文教祖でしたよね。
 今のお父様をはっきりと分かれば、過去、お父様がどのようにされておられたかが分かるのです。そうですね~良くわかりました。エロいキモイ男だって・・・真理は唯一、永遠、不変、絶対です。お父様は真理の実体エッ!エロ教祖が真理の実態?おぬしも共犯者よなぁ~(笑)ですから、過去も現在も未来も同じなのです。ですから、現在を知ることにより、未来も、過去も知ることができるのです。

尤もらしいこと言ってるけど、今じゃ真理じゃなかったみたいでバラバラ教会になっているのです。

 現在と過去が異なるのは、規模だけで内容は同じです。小さな家から大きな家に移り、人数が増えただけで、本質的なものは変わっていません。本質?そうすると自殺者や自己破産者が出るって言うのかしら???

 ところで、お父様はどのようなおかたでしょうか? 普通の人とどこが違うのでしょうか? よく教会員のなかには、「お父様が北韓から釜山に避難されるとき、どの道を通っていかれたのか?」というような質問をするかたがいます。ところが、どの道を通って南下したかについては、お父様も私もよく思い出せないことが多いのです。

 また、お父様は監獄に入られて苦労されました。食べ物も少ないなか、重労働をされました。でも、このことはお父様だけがされたのではなく、そこにいた人は全員、同じ状況だったのです。お父様は他の人と、何が違ったのでしょうか?

 日本で以前、元食口がテレビに出て、お父様のことをいろいろと話していたことがありました。その人は、「文鮮明は若い純粋なメンバーを利用して、豪華な家に住み、高級車に乗って、良いものを身に着け、良い食事をして暮らしている」と話していました。
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捏造歴史に操られ!そこに付け込む統一教会韓国人幹部!犠牲になるのはいつも日本人  

 そのような話を聞いて、なかには動揺する食口もいたと思います。確かに、お父様は立派な家に住み、高級車に乗っています。しかし、そのことで動揺するのは、お父様の内的世界が分からないところからくるのです。
内的世界が、外的世界に現れるってことでしょう。信者の献金で生活してる人が、いい車に乗り豪邸に住んでること自体疑惑ありってことなのですが、信者たちが自己破産してるのに教祖が良い暮らししてるのは変でしょう。それが朝鮮邪教の基本なのでしょうかね?
 一九五〇年、韓国動乱のとき、お父様が朴正華氏を背負って海辺を渡って、北から南へ避難することがありました。その場面と同じような写真が、本物かどうかで問題になったことがありました。

 その写真は、フランスの教科書にも載っています。「あの写真は、本物ですか?」と私に聞いてきた食口がいました。私は「あの写真は本物です」と言いたいのです。事実は、本物ではありません。私もその場にいたわけですから、一番よく知っています。

 


http://ameblo.jp/chanu1/entry-11732757181.html

「この写真は、文鮮明先生が朴さんを背負って、川を渡っている写真ではないですか」
と安炳一は聞いてきた。私は、

「その当時、写真を撮る余裕などなかったし、先生におんぶされて川を渡ったことはありません」
とはっきり答えた。すると国際部にいた職員たちも、さすがに何も言えなくて、この件はこれて終わったと私は思っていた。


http://ameblo.jp/chanu1/entry-11857024711.html

文教祖が避難する時に渡った川は「臨津江」と「漢江」ですが、どちらもカチカチに凍っていたため渡れたとしています。

『その次の心配が何かと言えば、臨津江を渡っていこうとすれば水が凍らならければなりません。その時、気温が下がって、臨津江が凍ったのです。そうして、明け方早くに起きて出発したのです。臨津江が凍りついていて、結局川が渡れたのですが、私が一番最後に渡っていきました。そのあとはカットされたのです。カットして全部送り返されたのです。このようにして韓国の地に来ました。』
(「真の御父母様の生涯路程2」より 第四節 興南から釜山まで自由南下)


『しばらく行くと、かちかちに凍った大きな川に出ました。朴氏を自転車に乗せて氷の上を歩いていると、空をたくさんの飛行機が行ったり来たりし始め、砲声や奇襲射撃の音が聞こえてきました。』
(「証言」信仰手記第1集より 金元弼(36家庭)の証し)自分でこう言っておきながら、大嘘付くのですからさすが教祖譲りの大嘘爆発です。

『十二月二十七日、雪の降りしきるなか凍った漢江を滑り転びながら渡って、出発してから二十四日目に私たち三人は、夢に見たソウルに辿りついた。』
(朴正華著「六マリアの悲劇」p60より)

凍っているのですから川を渡る際に弟子をおぶる必要もなく、水に浸かりながら渡ったというのも嘘になります。

教会や牧師によっては「海」ではなく「川」を渡ったと教えているところもあるようですが、写真がニセモノだとばれてから、統一教会内では末端信者に対してイロイロ言い訳を考えたでしょう。
写真がニセモノで使えなくなっても写真を絵にしたり、信者に対して文教祖が人類のメシアとしていかに偉大な行動を取ったのかという情報操作(洗脳)は続けられました。

 

正解は、

文教祖は朴氏を背負わなかった。「海」ではなく「凍った川」を渡った。

38度線を越えた時は、海の浅瀬を朴氏は自転車の後ろに乗り、それを金氏が曳いたということでしょうか?ふたつの話が一緒になっている可能性大です。もちろん、この時にも文教祖は朴氏を背負ったりはしていません。
(2015.4.25加筆)

 

 

 そのときの雰囲気もあの写真とそっくりです。私はその写真を見て、神様がお父様を愛され、後世にそのときの状況を知らせるため、神様が国連軍の人を通して撮影したと見たいのです。あの写真は、それほどそっくりなのです。

写真とそっくりは大嘘です。

背負ってはいないし、凍っていたのですから、水の中を歩いたわけでもないそっくりそっくりと自己暗示にかけると同時に、信者にも暗示を掛ける幹部?

状況次第で常に答えを誤魔化し返答する・・・この組織に入ると「誠実」からは遠くなるのかもしれません。

 私がノルウェーに行ったとき、お父様が朴正華氏を背負われて南下されるとき背負ってない!渡られた龍媒島の海辺と同じような所があったので、そこに教会員を連れていってお父様の路程を説明したことがあります。大嘘教えちゃダメ!

 あのときのことを思い出すと、渡ること自体が不可能なことでした。私も渡ったのですが、どのようにして渡ったか、私にも分からないのです。昔のことでも覚えてるでしょう。氷の上を歩いて渡ったのですが、とぼけるのがうまいですね(笑)

ゆっくりと渡れば、足が海辺の砂のなかに沈んでしまうのです。大嘘展開中!

 皆さんが自分の相対者を背負って、一キロほど歩いてみてください。どれほど大変なことか分かるでしょう。それも、固い大地を歩くのではなかったのです。また、お父様は二年八か月間、刑務所生活をして出てこられたばかりです。

だから~背負っていませんよ。

 それに、朴正華氏はお父様と同じように体重のある人であり、足が不自由でした。背負って歩けば重みで体が下に下がってきます。普通ならそのとき、下がってきた体を上に跳ね上げればいいのですが、足が悪いためそれもできないのです。ですから、そのような状態で海辺を渡るというのが、いかに大変だったか少しは理解できるかと思います。

すんごい妄想で語ってますね(笑)背負う必要なく氷の上を自転車に載せて渡ったのですよね。

 
お父様はこのときのことを、次のように語られたことがありました。「私がこの人を背負って無事に渡れなければ、天宙復帰のみ業が成らない」

あははっ、これももちろん大嘘ですね。背負ってないのに想像と空想で捏造を語る教祖さま、口を開けば捏造が次々に出て来るのです。嘘の中にホントがあるのか?ホントの中に嘘があるのか?嘘を嘘で固めてあるのか?大嘘ばかり付いてるから、寄せ集めるとすんごい時間性のズレのある言葉もあります。

人類歴史は4000万年前から?ホモサピエンスは10万年前からですよ?!


 ですから、お父様は朴正華氏を個人として考えられたのではなく、天宙を代表した者として接しておられたということです。それで、天宙的な力がお父様に及んだのです。このように、お父様の歩まれた道も、ただ外的なことだけを見てとらえてしまったら、お父様を正しく理解することができません。

 お父様が日本の代表にお話をされるとき、一人として見ないで、日本全体、アジア全体、天宙全体として見られてお話をされるということを知ることが、お父様とお父様の路程を正しく見ることになるのです。

そうだろう~日本のすべての資産を狙っていたんだからさぁ~。

責任者一人の背後に金が数十億数百億あると思って、金目当てに教祖は語るからね。

 私の名前で日本や英国で本が出版されています。ところで、私はそれらの本を一度も読んだことはありません。自分の足りなさを思い出すので、読みたいとは思わないのです。私は、まだ神様を心配させ、真の親を心配させるサタンのような者だと思って生きているからです。
大嘘付いちゃダメだよね。事実を心に隠し語った内容を見るのは、さすがに普通なら気が引けるってもんですよね。

ダメよ~教祖を見習ってください(笑)教祖なんて大嘘尽くしでも堂々としてたでしょう。サイコパスを見習うのは大変、良心のある人にはとてもできない芸当を教祖は見せてくれたのです。

 


 ―――確かに、金元弼先生がおっしゃる通り、お父様の内的世界を紹介することの重要性を感じます。

 ところで、お父様の北韓での路程については、金元弼先生はいろいろな機会にお話しされましたが、お父様の内面を知るという観点から今一度お話しください。


 一九四八年二月二十二日に、お父様は再逮捕され、五月二十日には興南の収容所に移され、そこで二年五か月間、強制労働をされました。

http://benkyoc.blog.fc2.com/blog-entry-89.html


埼玉の777の調査によると、金百文氏から 「原理原本の元となる書き物」 を借りた文鮮明氏は
約束の期限を超えてでも借り続け、必死でその書き物を書き写しとったそうです。(だからと言って、「文鮮明氏が偽物」 ということにはなりません)

「これで天下が取れる!」
と、邪心による動機で流布してしまったことが、複雑な女性関係の失敗につながったと思われます。

http://ameblo.jp/mikan-ha417/entry-11819013723.html

「その日書いた原稿を先生のところへ持って行って、一つ一つ先生から検査を受けました。もし一つの間違いでもあれば、先生はみな直されますし、自分が理解できないことは、先生と何時間でも討論するのです。その時の劉協会長は自分は今「原理講論」を書いているが、これは全世界に長らく伝えなければならない本であるから、完全に理解しなかったらどうして自信のある講論を書くことができようか。だから先生の原理を完全に自分がつかむため、最後まで自分の意見を述べますという心情でした。そのように劉協会長は、これを完全に先生に検閲してもらい、最後の仕上げを柳文化部長に助けて貰いました。柳文化部長は語彙の豊富な人で、ほとんど同じような内容でも、よくそこに適切な単語を探すのです。ですから、先生と劉教会長と柳文化部長の三人の合同作品だと言えるのがこの「原理講論」です」
 ―――金百文牧師が書いた『基督教根本原理』(一九五八年発行)には、確かに第一篇創造原理 第二篇堕落原理 第三篇復帰原理の三大原理の内容が書かれています。

 金百文牧師は、洗礼ヨハネの使命を持っていました。二千年前、洗礼ヨハネは「悔い改めよ、天国は近づいた」と宣布したのです。統一教会が勝手に言ってるだけです。現実は金百文を文鮮明が裏切ったってことじゃないのかな?その後、イエス様も同じように言われました。

 このことをもって、「イエス様は洗礼ヨハネのまねをした」と言うのでしょうか? むしろ、メシヤの道を直くするための洗礼ヨハネが、イエス様と別の話をしたらどうなるでしょうか?

 「悔い改めよ、天国は近づいた」という言葉は同じでも、内的な意味は全く違うのです。洗礼ヨハネの場合は、メシヤを前提にして「天国は近づいた」と言っているのに対し、イエス様の場合は、「私(イエス様)が天国である。だから、悔い改めれば天国に入ることができる」という意味です。同じ言葉でも、意味は全く違うのです。

 金百文牧師は、結果は分かっても、原理原則がなぜそのようになるかが分からなかったのです。また、金百文牧師の教えには、復帰の歴史路程がありません。蕩減復帰という原理が分からないからです。統一教会の教義は、確証もつかめない捏造だらけです。神話を使い、罪の植え付けをして贖罪意識を徹底的に植え付け、信者をマインドコントロールするのです。統一教会で一番重要なのが、贖罪意識を持つことなのです。

 お父様は、聖書を読まれて「原理」を解明されたのではありません。「原理」を解明されて、「『原理』がこのようになっているのだから、聖書にはこのようなことが必ず記されているはずだ」といって、聖書を読まれていかれたのです。これもちょっと現実は違う、聖書なんて教祖は熱心に読んでないと思うよ。ほとんど、聞いた内容の受け売りで、原本にしたというのは、金百文の内容のまる写しを、劉先生が書きくわえて完成させたってことで、文教祖は原理講論の内容を、すべて熟知していた訳ではなさそうだ。原理を聞いた人が「先生知らない」って返答があった箇所があるのですが、すぐに引っ張ってこれません。お許しを!


 ―――釜山のポムネッコルの小屋に、聖進様のお母様(崔先吉女史)が七年ぶりに訪ねて来られました。金元弼先生は、お父様が結婚されているということは、いつごろ知られたのですか?

 はっきり分かったのは、平壌から避難するときです。お父様が興南の収容所にいらっしゃったとき、それとなく分かったのですが、はっきりしたものではありませんでした。

 それ以前は、お父様が結婚しておられるなどとは、夢にも思わなかったのです。また、分かろうともしなかったというのが正しい表現かもしれません。妻子がいるのに、捨てたままの教祖だったのです。

 お父様は、平壌に来られて涙、涙の生活をされ、休む時間もなく過ごされておられました。お父様のご両親はどこにおられ、何をしておられるのかとか、お父様は兄弟が何人であられ、何番目でいらっしゃるかなど、尋ねようとも思わなかったのです。家の事は話したくない隠したい深~い内容があるのでしょうね。

 私は、人間として歩む限界以上の世界を歩まれ、苦労しておられるお父様だけを見て、そのお父様についていくのが精いっぱいでした。
限界?それはその人の感覚的なものであって、本来は責任あるものに対して責任を果たすのが人間。その肝心な責任を取らないのが教祖だってことだろう。

 ―――聖進様のお母様が、ポムネッコルの小屋に来られたときは、どのような状況だったのでしょうか?

 お父様を訪ねて、釜山に向かう聖進様のお母様の心中はどうだったでしょうか? 幸福な家庭を築くことを夢見て、訪ねてきたのです。韓国動乱を前後した七年間は、どれほど長く感じられたことでしょう。

 ところが、お父様がおられた所は、立派な家でないだけでなく、惨めな小屋で生活しておられたのでした。それだけでも失望する内容です。

 そのとき、お父様は人々にみ言を語り続けておられました。そのときお父様は、「入ってきなさい」と言われました。しかし、聖進様のお母様は入ってこられませんでした。お母様は、お父様が本気になって入ることを勧めると思ったのでしょう。ところが、お父様はその後、入るように言われなかったのです。

 お父様は、食口を生かすために完全投入され、み言を語られておられた時ですから、途中でやめることはできなかったのです。み言を聞いていた食口も、「本当にご苦労様でした。おふたりでゆっくりしてください」と、その場を空ければよかったのですが、何も理解できなかったのです。

 夜になっても、食口たちは帰らず、そこで泊まりました。翌日になっても帰らず、食口たちはお父様の愛を独占していたのです。このように、聖進様のお母様にとって食口たちが怨讐となったのです。

 ところで、お父様は妻子と弟子のどちらかをとらなければならないとしたら、弟子をとらざるを得ません。聖進様のお母様がどのような行動をとられたかは、ご存じでしょう。

 そのため、食口たちはお父様から離れていったのです。すると、お父様は食口たちの所に訪ねて行かれたのです。そして、家にもお父様は帰らなくなったのです。そうして、お母様は聖進様を連れて釜山を離れたのでした。これ変でしょう?元々、妻子のいる家に行って寝泊まりはしてなかったでしょう?調べないと解らない・・・。

 お父様は釜山での親子の対面の時のことを、次のように語られたことがあります。

 「子供(聖進様)が七歳になったとき、初めて会ったのです。その時は、食口たちと一緒に過ごしていた時でした。おばあさんたちを生かそうとしていた時でした。わたしの息子が来たといって、わたしが喜んで迎えると条件に引っかかってしまいます」条件付ければ何でも有りなのが教祖様なのでしょうか?単に、妻子を追いやりたかっただけでしょう。妻を蹴ってる写真があるじゃないですか。

 お父様は、私には洋服や靴など、いろいろと買ってくださいましたが、聖進様には鉛筆一本も買われなかったのです。お父様は、ご自分の家庭を犠牲にされて、私たちを救おうとされたのです。
献金で買ってもらっただけで、教祖が働いた金で買ってもらった訳じゃないでしょう。私たちを救おうと?ただ買ってもらっただけなのに救うって感覚変です。

 ―――一九五三年九月にお父様は釜山からソウルに上京され、翌年の五月一日に「世界基督教統一神霊協会」が創立されました。それから、四百三十日後、すなわち一九五五年七月四日に、お父様は拘束され、西大門刑務所に三か月間、収監されました。

 金元弼先生は七月五日に拘束され、西大門刑務所から釈放されたのは、その年のクリスマスの日ですから、三か月間お父様と刑務所で過ごされたことになります。そこでのお父様について、お話をお願いします。

 私以外にも、劉孝元協会長、劉孝敏、劉孝永各氏も収監されました。もちろん、部屋は別々です。私とお父様は、棟は違いましたが、窓側に立てばお互いを見ることができました。

 そこで、私は朝起きて、お父様がおられる棟の方に向かって窓から顔を出すと、いつもお父様が私より先に窓から顔を出しておられました。私があいさつをすると、お父様の姿は見えなくなります。

本当の事を言うなよの合図を送っていたのではないでしょうかね?
 朝起きて、親の顔を見ないと寂しく思う子供のように、お父様の顔を見ないと力が出ないのです。お父様の顔を見ると力が出てくるのでした。

 ある日、私はお父様に朝のあいさつ(敬拝)を遅れてしまったことがありました。慌てて窓のところに行くと、向こうでお父様は、私が顔を出すのを待っていてくださったのです。私が遅れても、お父様は一日も欠かさず、私より先に起きて窓のところに来られて、私があいさつをするまで待っていてくださいました。

 お父様は、私を力づけるために本当に真心から尽くしてくださったのです。また、足らないあいさつでも本当に心を込めて受けてくださいました。

 後で私が悟ったことは、あいさつする私よりもそれを受けるお父様のほうが、もっと大変な立場にあったということです。お父様は、収容所での苦しみだけでなく、私たちのためにさらに十字架を負っていらっしゃったのでした。

 私たちには、カイン・アベルの問題があります。責任者が「私の話を聞かないとだめだ」と言う場合がありますが、お父様の心情が分かれば、そのように言うことはできないのです。

 今まで収容所に、愛国者をはじめいろいろな人が入りましたが、お父様ほど人のために心を尽くしたかたがいらっしゃったでしょうか? そこが他の人と違うところです。

 お父様がこのように真の愛の伝統を示してくださったのは、「お互いにそのようになりなさい」ということではないでしょうか? また、「カインの世界の人には、そのようにしなさい」ということです。



 ―――金元弼先生は、一九九六年七月で信仰歴が半世紀となられました。また、五月一日に統一教会は、創立四十三周年を迎えます。そこで最後に、今までの路程を振り返って一言、私たちに何かお話しください。

 私は平壌で生まれ、平壌で育ちました。当時は、日本の統治下にありましたので、日本語を使わなければなりませんでした。そのなかで、韓国語を使う所が教会でした。聖書は韓国語です。私は韓国語を学びたくて教会に行きました。

 ところが、教会に行っても神様がよく分からなかったので、聖書を学び山で祈ったのです。そして、私の将来のことについて相談するために、伯母(金仁珠勧士)のところに行きました。そのとき伯母は、お父様にお会いして一か月くらいしたときでした。

 私の相談に対して、伯母はアドバイスをしてくれたのではなく、「南から上がって来られた若い青年の先生がいるのですが、そのかたは、朝、歯を磨きながらでも幻を見たり、霊界からお告げを受けられる。そこは、真理と神霊で礼拝する所なので、行きませんか?」と誘われて訪ねたのです。

 食口の中には、私が長くこの道にいるので偉いと思っている人がいます。それらの人は、私のことが分からないからそのように言うのです。私は愚かであったから、今日まで来ることができたのです。偉いかたは、お父様しかいません。

 私は、自分の語ったことも聞きたいと思いませんし、ましてや私の本やビデオなども見たいとも思いません。自分の顔も見たくないのです。これが私の率直な心境です。

 どのようにしたら、お父様のような真の人間になれるか、これが今の私のすべてなのです。

 

超サイコパス自称メシヤ文鮮明の近くにいて、甘い汁を吸いたい方だったとは・・・信者で居る時には気づきませんでした。教祖のすべてを知りながら信者に嘘をつきながら生きてきたので、過去のビデオを見ると、いかに捏造で語っているのかが苦しいのかもしれませんね。

そりゃ~大嘘語ってる自分は見たくないでしょう(笑)

大ぼら吹いて、のし上がって金持ちになった教祖を見習いたいのでしょう。韓国人なら、みんなそんな夢を描いているのかもしれません。

これぞ!ザ・韓国人(のDNA)


 

文鮮明教祖も金元弼先生も、結局はバリバリ反日韓国人だったということなのかもね。日本人は嘘でも騙しても財産ボッタクリは許されるし、議員の愛人にしてもKCIAの愛人にしても、韓国で失踪しても何とも感じない鬼畜だったのです。

統一教会はバラバラ教会、ボッタクリ教会、鬼畜教会・・・

呼称変更はどれにしますか?

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    ↑            ↑            ↑     ↑

  文教祖    サムエルの母、妾  鶴子さん 喜進、妾の子  

 

 

 

 

http://www.microsofttranslator.com/BV.aspx?ref=IE8Activity&a=http%3A%2F%2Fhowwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com%2Ftagged%2FSam-Park
 

豊臣秀吉の朝鮮出兵の真実を、日本人として知って置くべき!

「日韓併合と李承晩ライン」<ルールを守るのが人!人でないモノは獣!韓国よ自覚あるか!

白人社会の伝統的価値観(宗教観)においては、この世は「」と「」と「」によって構成されています。

「神」は唯一絶対の存在であり、「人」は神の子です。
神の子である「人」は、神との間に交されたルールを守らなければなりません。

ルールを守るから「人」なのです。
ルールを知らない、あるいはルールを守れないモノは「人」ではない。

「人」でないモノは「獣」です。
たとえ人の姿をしているかどうかは関係ありません。

「獣」は「獣」です。
 

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2514.html

韓国併合(1910.M43.8.29)日清日露の原因も朝鮮だったのか!?日本人なら知るべき内容!

 

<たかたか庵日記より>
http://ameblo.jp/taka-chaya/day-20130525.html


上の本は、光言社発行 平成元年2月8日 第3刷発行の、「先駆者の道」です。
下の写真の本は、平成3年3月20日第9刷の「先駆者の道」です。
頁はどちらの本も、96~97頁です。
96頁の本文はどちらも同じで、一言一句違っていません。
特に、7行目は、「そのころには、朴氏の足は治つつありましたが、もう一度骨を折るようなことがあれば、大変なことになったでしょう。彼は全く足を曲げることができず、何日も何日もギブスで、ずっと足を伸ばしたままの状態でした。
ではどうして、平成3年版では写真を差し替えたのでしょうか。
それは、迂闊にも統一協会の新聞「世界日報」のカレンダーに、ピンボケではない元の鮮明な写真を載せてしまったので、統一協会員すらこの写真が偽物であることに気がついたのです。



(「先駆者の道」P97写真(上)差替え前(下)差替え後)



文教祖も金元弼氏も「朴氏はギブスをした足をつっぱっているのでおぶって歩くのは大変」だと語っていますが、この写真のどこが「ギブスで足を真っ直ぐにしている」のでしょうか。




最初に「この写真は私だ」と言い出したのは文教祖ですが、一緒に海を渡った朴正華氏は「六マリアの悲劇」の中でこのように述べています。

略)