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六マリアの悲劇 第七章


 

第七章 証言―私たちが体験した事実

P. 258-264 Eu Hyo-min

統一協会の経済的基盤に貢献しながら裏切られた

劉 孝敏 ユ ヒョミン

文鮮明の初代秘書役たった朴正華氏のあとを継ぎ、二代目秘書役。

いとこの劉孝元・孝永兄弟とともに、統一協会の発足から基盤づくりに大きな貢献を果たした。三十六家庭のメンバー。一九七一年脱

会。現在ソウル在住。会社社長。七十二歳。

 私は統一協会が正式に創立される前の、一九五四年(昭和二九年) 一月十四日に、釜山でいとこの劉孝元、劉孝永と一緒に文鮮明の信者になった。

 朴正章さんはその頃、食口(信者)の中心的な存在で、文鮮明の片腕として活動しており、本人もたいへんな努力をしていた。

 しかしその一方で、朴正華さんを外そう、遠ざけようとする動きがあったのも事実である。その原因は、

 「朴正華はあまりにも知り過ぎている。もし彼が捜査当局にすべてを話すことになったら、文鮮明先生は重罪になるだろう。また、彼が反対すれば計画が進まないので、このままでは文鮮明先生の什小の邪魔になる」

 

 

 だから朴正華は要注意人物で、これからの「原理」伝道のためには「大きなサタンだ」という声が上がっていた。

 この本の中で朴さん自身も、「大邱のおばさん食口たちが、朴正華はサタンだと夢のお告げを受けたとかで、騒ぎだした」と書いている。

 しかし、これは朴正華さんを遠ざけるための口実であり、裏で文鮮明が仕掛けた陰謀だったと思う。朴さんは文鮮明の女関係や金銭問題を、あまりにも深く知り過ぎていたために疎んじられ、邪魔になってきたのだろう。

 これは文鮮明と統一協会の常套手段で、私の場合もそうだった。

 私が入った当時、文鮮明をはじめ集まった食口たちは、その日に食べるものにも困っている状況だったので、北朝鮮時代に写真館をやっていた技術を生かして、私はブロマイドを製作・販売する仕事を提案した。これがうまくいって一日に一万枚の売上げになった。一枚七ウォン前後で卸したのを、小売人や戦争孤児たちが店や街頭で十ウォンぐらいで売っていた。毎日七万ウォンもの現金収入になったので、台所はいっぺんに楽になった。

 朴正華さんが書いているとおり、男の食口たちは分担して作業をして、女の食口たちは写真を切り揃える仕事に没頭していた。この仕事は二年ほど続いたと思う。

 空気銃は一九六一年から始めて本格的な生産に入り、日本へも輸出したが、工場渡し価格で一丁が一万ウォン(今なら三十万ウォン)で十五万丁以上売れた。計十五億ウォンだから、統一協会にとってかなり大きな財源になった。新式の空気銃を発明した私が「統一産業」の社長になれなかったのは、一九五五年七月の逮捕(七・四事件)で私が有罪(懲役一年、執行猶予二年)になっているから、ということだった。

 それで金寅哲が社長、文鮮明のいとこ文昇龍が工場長、その弟が生産部長となり、発明者の私は「組立部長」という世にも奇妙な役職をもらった。銃の特許は文鮮明のものになり、会社の主要役員は身内ばかり。彼らは一人に一台の車を持って派手に乗り回しているのに、私はトボトボと徒歩で動くし

かなかった。

 

 信仰より身内中心の金儲け主義、としか考えられない体質だった。

やがてそれは、もっと露骨なかたちで現われた。私に、

 「あんたは写真が得意だから、写真館でもやらないか」

と言う。冗談じやない、写真館ぐらいその気になれば、自分一人でもできる。私は強い反発を感じた。

 要するにこれは、空気銃の事業も軌道に乗ったし、発明した私はもう必要ないから、「辞めなさい」ということだ。

 

一九七一年のある日。私はアメリカから帰国したばかりの文鮮明に会って、いろいろ相談してみようと思った。それで側近中の側近だった崔元福(元梨花女子大学教授)に連絡すると、

 「劉孝敏さんなら、時間を決めなくても会えるだろう。少し待てば大丈夫だ」

と言うので、行って部屋の中へ入った。大勢の人が順番に会うので待たされ、ようやく最後に文鮮明と私の二人だけになった。

 さあ、今日こそじっくり話し合って今後のことを決めたい、と身繕いをした私の後ろを、

文鮮明はスーと通って隣室へ消えた

イレにでも行ったのかな?と思ったが、待てど暮らせど帰ってこない。ついに

彼はそれっきりで、私の前へ戻ってこなかった。

 いくら温和な私でも、これには頭にきた。全身がかっと熱くなって震えてくるのが、自分でもよくわかった。

 私は文鮮明や統一協会のために、できるだけの努力や奉仕を重ねてはきたが、何ひとつ教えに反したり迷惑をかけたことはない。ただ経済問題や女の問題をあまりにも知り過ぎていただけだ。

 

つまり文鮮明のほうが私を煙たくなり、裏切ったのである。これで私はキッパリと縁を切って、脱会した。

 

 朴正華さんの体験とまったく同じで、私には彼の悔しさがよく理解できる。

 文鮮明と統一協会の本質を物語る事件について、私はもう一つ具体的なこ

とを証言しておきたい。それは一九五五年の「七・四事件」、文鮮明と私たち幹部が逮捕された事件のことである。

 七月四日の文鮮明に続いて六日、私も逮捕された。逮捕理由は「兵役忌避容疑」。

 私たち北朝鮮から南に避難してきた者には戸籍がないので、身分証明書を

作ってもらうとき、「第二国民兵」としての兵役を免れるため、実際の年齢より五~六歳くらい年長に申告していた。

そこが違反とされたもので、文鮮明自身も朴正華さんに指示して偽造させていた。

 私たちは口裏を合わせて、偽造に協力したと供述していたが、一方で文鮮明は、

「自分の知らない間に、弟子たちが勝手にやったこと」

と責任逃れを繰り返していた。

 私たち弟子が、″神さま”の年齢を勝手に変更などできるものではない。実際には、すべて文鮮明の指示に従ったまでだった。

 

 ところで、この「兵役忌避容疑」は、文鮮明以下の幹部を逮捕し取り調べるための口実で、いわゆる別件逮捕だったことがまもなくわかった。

 捜査官の質問が日を追って、妙な方向へ移っていった。

 「お前たち夫婦の仲はどうなのか? セックスは週に何回するのか? 月に何回か? 女の信者とは何回したか?………」

 私は「それが兵役忌避と何の関係があるのか」と大声でやり返し、捜査官と口論したこともあった。しかし、捜査官の調べは執拗で、机の上には文鮮明と女性食口たちの関係を書いた図を置き、セックス関係の確認を求めてきた。

 私は終始一貫、知らぬ存ぜぬで過ごしたが、内心ではその正確さに舌を巻いたものだった。留置場の中にいる私たちは、外の様子がよくわからなかったが、朴正華さんたちの隠蔽工作の結果か、調べを受けた女性たちは、

 「私は文鮮明先生と、やっていません」

 「私は夢の中で、セックスをしたように思います」

などと、適当に嘘を並べていた。

 

 警察はほぼ的確に、文鮮明を巡る女性たちの相関図をつかんでいたものの、本人の親告や亭主からの告訴を得られなかったため、この件での起訴立件をあきらめたーーのが真相だった。

 だから「七・四事件」は単なる兵役忌避問題ではなく、統一協会の奥座敷に隠されたセックス問題の捜査が警察の狙いで、統一協会の言う「何もない無実の容疑」ではなく、「危うく事実が天下に公表されるのを、免れた」のである。

 ちなみにこのとき逮捕された幹部の留置番号は、文鮮明三九〇番、劉孝元三八〇番、劉孝永一七〇九番、私一一七五番だった。金元弼も逮捕され、彼だけが実刑の判決を受けて収監された。

 いずれにしても、統一協会と訣別し、距離を置いて冷静に文鮮明や協会の実情を見ると、いろいろな矛盾や疑念が見えてくる。

 

 世の中の大勢は明らかに民主主義の流れであるにもかかわらず、統一協会の体質は、信仰の濃淡に関係なく、文鮮明に尻尾を振るだけの取り巻きを周囲に配し、身内を重用した、独裁体制である。これは歴史の流れを押し戻し、文明に逆行するものと言えよう。

 しかも、食口たちが身を削って集めた巨額の金は文鮮明一人が管理しており、どこにどれだけ隠匿しているのか、現在の最高幹部でもわからないという。

 非民主的で横暴な、独裁一本の典型的実例である。

 また、統一協会の印刷物はどれも、「文鮮明師が一九四八年に北朝鮮で逮捕されたのは、共産党の宗教抹殺政策によって、内務省に拘束された」と判で押したように発表している。

 私は北の平安北道・宜川邑(郡)で写真館を経営していたが、戦乱の風雲を避けて一九四七年八月、写真館も各種の機材も放置し、一人で南下した。二十八歳のときだった。それまで私は北のキリスト教会の執事をしていたが、まったく弾圧などはなかった。これは統一協会の嘘の歴史であり、朴正華氏が詳しく書いているとおりである。

 また本書の中で紹介されているように、私自身もいわゆる三十六家庭の一人なのだが、どう辻棲を合わせようとしても、三十六家庭には何の摂理もない。それでもまだ当時は、夫婦の組合せを真剣に考え鍾路の白雲鶴(観相家)や李命鶴(四柱家)などとも相談して最終決定をした。

 ところが最近の合同結婚式は、まるで麻雀の相手でも決めるかのように安直で、いい加減なものだ。これでは真の祝福とは言えないーと私は痛感して

いる。

(文責=編集部)

 


 

つづく

 

 

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