http://ameblo.jp/abatakedaburamore/entry-12091309022.html

abatakedaburamoreのブログ さまより転載。加工あり。加筆あり。

文孝進、テモニム投獄。英文サイトより意訳。

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Revering a convicted killer – and maybe a second murderer.



ワークショップグループ、清平祈祷ホールでの集会。



右側にある絵画は洪順愛、大母様であるテモニムと文鮮明によって名付けられた。
テモニムは1957年、18歳の男の子をなぶり殺したとして
2年間投獄されていた。草創期の韓国人メンバーには周知の事実であり、尊敬の眼差しを向けるものなど当時は居なかったが、
世界中のシック達は無知なことにテモニムに頭を垂れている。
 
以下の写真は文孝進の絵画が祭壇に加えられる以前の様子である。


 
ソウル漢江に浮き上がっていた死体と、文孝進には関わりがあると疑われている。(詳細は以下)




ピストルを握り笑顔の文孝進、文と共に銃器を抱えている。

記事の大部分は文孝進のことをよく知っている人物、レオンハリス、クリストファーソンからの話が元となっている。レオンハリスは文孝進がコカイン入手のためスラム街へ出向いていた時、付き従っていた人物だ。クリストファーソンはマンハッタンセンタースタジオ出身で、文孝進とは馴染みがある。

文孝進は80年代後半、ニューヨークにいる友達の肋骨に空手キックをし怪我をさせた。
彼はUTSで他の学生を叩きのめしたり、スタジオの仕事仲間であるベンをしばき回したりしていた。彼はハンドガンをピーター・キムの頭に向け、銃の引き金を引くぞ、と脅したこともあった。


文孝進は通り過ぎる貨物列車に向けて発砲したり、洪 蘭淑を含めた複数の人に殺すと脅していた。文孝進は当時40代のJoachim Beckerを襲ったこともあった。

文孝進は席から立ち上がり、joachimを地面に叩きつけた。肋骨を強く打ち、折れる音がまるで聞こえてくるようだった。
困惑したJoachimは地面にうずくまり、肋骨を手で押さえつけていた。言うまでもないだろうが、ミーティングは直ちに中止だ。
 
後にJoachimは病院にいき、胸には包帯が巻かれた。いくらかの肋骨は折れ、複雑骨折していた。
整備士をしている友人は文孝進の機嫌が悪い時のため、よく身を潜めていた。
また文孝進は洪 蘭淑に発作的に怒ることがあったため、常に警備員が目を見張っておく必要があった。

サタンが文孝進の中を自由に出入りしていると文鮮明教祖自身も言っている。
しかし、文鮮明は文孝進を清平に連れて行き、サタン、邪心を取り除くこともしなかった。

文孝進の悪態は日常的に目撃されている。
このような文孝進の素行は十代の頃からずっと続いており、文孝進は周りの学生たちにBB弾を撃ち、ハックレイ高校から退学させられている。

洪 蘭淑文孝進との結婚を期になんとかしようと手を打った。さもなければ、殺されてしまうかもしれないし、60丁以上もの銃器を扱っている一方、子供が事故で亡くなってしまうかもしれないからだ。数丁の銃器はイーストガーデンの家に置かれていた。ベットの下に隠されていて弾が込められたものもあったし、セーフティが外れているものもあった。
1982年、私はイーストガーデンの食事会に参加した。真のお母様は文孝進とJoe longoがあるバンドの髪型を真似ていることを心配していたが、だれもそんな舞台裏のことなどと、シック達は気にしている素振りも見せなかった。洪 蘭淑は真の父母を演じるために、幸せであるかのように頑なに振舞っていた。
その時の洪 蘭淑の心情がわかったのは、彼女の本を数年後に読んだ時だった。洪 蘭淑は、不満をこぼす事も許させず、耐えるしかなかったのだ。

文孝進が後日公式に悪い素行に対し後悔の意思があることを公表したのは良いことであるし、何千もの音楽を作曲したのも事実である。
しかしながら、文孝進は酒に酔い、薬物の使用も止まっておらず、タバコの臭いがする中ミーティングに参加しては、どうしたのかと聞かれるとまた外へ出て行ていってしまう。
Yeon-ah Choiは最初の祝福相手にはなかった母性で文孝進と5人以上もいる子供達を支えた。(洪 蘭淑は文孝進とマッチングした時、法律上未成年。)
 
真のお母様は、文孝進に涙を見せるほどに期待を抱いており、韓国の二世の間では文孝進の音楽を聴かせるなどして印象の改善をしていた。
文孝進に良心が残っているのは知っている。親孝行もしようとしていた。ただ、父親の期待に添えるのは文孝進にとっては困難なことだった。
文孝進はFrank Kaufman’s houseへ訪れるようになり何時間にも渡って祈祷をした。文孝進は両親から赦しを受け祝福を受けた。しかし文孝進は未だに洪 蘭淑が文孝進の素行を世間に露わにしたことを許すことが出来なかった。

真の子供達が次々と出てくるようになったのは、文孝進が亡くなったあとのことだ。
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文孝進はビデオでこのように言っている。
殺すぞ、こんなとこ嫌いだ。わかってんだろ?おまえらクソ共におれのなにがわかる?
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祝福家庭二世はこのように公言している。

1989年、祝福家庭は毎週日曜日、タリータウンで集会をしていた。
「私たちは文孝進と共にいることが好きでした。文孝進様が近くにいれば、私達は彼について行き、文孝進様がしたいことにはなんでも従います。発作的な怒り、よく暴力的になっていました。しかし、もしも私達が文孝進様のことを理解できないのなら、それは神様の心情を理解していないことと同じことであると教わっていました。つまり、文孝進様は神様の心情を私達に伝えて下さっていたんです。」

ある日文孝進は祝福家庭の人たちを並べさせ、喚き散らしながら銃を振り回した。突然止んだかと思うと、文孝進はJin Seung Euの頭に銃を向け引き金を引いた。銃弾は壁を貫き、Jin Seung Euの頭から2インチ逸れた所に当たった。
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韓国統一教会の複数のリーダー達が行方不明になっていると言われている
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1957年、Jae-geon Kimとテモニムは刑務所に2年の間投獄されていた。二人は18歳の男の子の精神病を治すことができるとし、男の子を死ぬまで殴り続けた。

1957년도에는 이런 일도 있었다. 18세 가량의 정신이상자인 소년 하나를 김재건 노파와 홍순애 (현재 문 선명의 부인인 한 학자의 모친)여인이 자기네들의 신통력으로 정신이상증세를 고칠 수 있다고 장담하면서 지나치게 안수. 안찰을 하다 결국 맞아 죽은 사건이 발생하여 두 여인은 강원도 춘천형무소에서 2년간에

page 336 from the book

The Identity of Sun Myung Moon (1) by Myung-hui Kim
published in 1987

洪 蘭淑。わが父、文鮮明の正体より。

http://youtu.be/L0nm0mABf2o
原文
http://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/search/weapon +
文孝進,ナンスク
統一教会とは?part 1,2  part1 一分から当時の文孝進の様子。
https://www.youtube.com/watch?v=q710za-HEwo
https://www.youtube.com/watch?v=nhw-kTyjN8M
{E88243AF-91B2-43BF-B5C4-AD1187756C6E:01} ←顕進氏(三男)
ズボンに手突っ込んでこの風体は文鮮明と同じ!日本人は、ズボンに手突っ込んで人を足蹴にする人は、めったにいないだろう。この組織と出会って、こんな風景をビデオで見かけるようになるとは・・・、893みたいです。
 
~~~~~転載終わり。