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上記より一部転載。加工あり。

2006年06月17日

大山倍達未亡人・独占取材! 極真会館の跡目争いとゴッドハンドの生涯(前編) (宝島30 94年9月号)

統一教会に関する噂

 大山倍達が統一協会の信者であるという噂は、ずいぶん前に耳にしたことがある。
 実際、統一協金とは不可分の存在である世界日報は、古くからの全日本大会のスポンサーであるし、一九八四年に行なわれた第三回世界大会には、日本統一協全会長の久保木脩己が、大全特別相談役として副委貝長の席に座り、顔写真入りでパンフレットにメッセージを寄せたこともある。
 その後の大会では役員から久保木の名前こそ消えたものの、世界日報は現在でも極真会館の有力なスポンサーの一つとして名前を連ねている。
 極真全館、大山倍達と統一協会の繁がりは古く、時期的には第一回全日本大会が行なわれた一九六九年より少し前から付き合いが始まったようだ。両者の橋渡し役となったのは、現在は極真を離れアメリカで他流派を興しているO兄弟である。O兄弟の父親は当時の日本統一協会にあって、金銭の出入りをかなり自由に任されるほどの大物で、日本におけるコネクションが欲しかった統一協会と、スポンサー不足に悩んでいた極真全館との利害が一致し、ある種の協力関係が生まれた。


 では実際に大山倍達が信者だったのかという問いに対しては、智弥子未亡人は言下に否定した。
「確かに主人は統一協全に何人か友人がいました。久保木さんがよくうちに訪ねてきた時期もあります。まあ、どっちが呼んでたのかは知りませんけどね。最初はおだてられて協力してたんじゃないですかね。でも、主人が信者でなかったことは断言できますね。もし本当に主人が信者だったのなら、協会からお金を借りるなりして、新しい本部の建物だってもっと早く建っていたはずですよ。それに主人がお世話になっていて、こんなことを言うのも何ですが、うちは私も娘もみんな統一協会が嫌いでしたから」
 智弥子未亡人はこんなエピソードも語ってくれた。
「何年か前に協会の方が会館に来て、主人に壷を持たせて写真を撮っていったことがあったんですよ。そしたらその写真が霊感商法みたいなことをやっている会社の広告に使われてしまって。『大山総裁は統一協会の信者なんですか』という電話が会館に何本もかかってきて。あの時は本当に怒ってらっしゃいましたよ。そんなこともあって、ここ最近はあまり協会の方とのお付き合いも少なくなっていたようてすね」


 しかし、昨年十月に行なわれた全日本大会のパンフレットを見る限りでは、極真会館と統一協会の関係はいまだに現在進行形である。後援には世界日報の名前があり、相談役の中にも日本統一協全の実力者である、梶栗玄太郎の名前が見える。
 ある意味ではこれまで付かず離れずの関係を続けてきた極真会館と統一協会だが、大山倍達の死によってそのパワーバランスに狂いが生じつつあるという説もある。これをきっかけに関係は薄れていくのか、それとも大山倍達存命中には考えられなかったような介入を許すのか。取材を行なった何人かの関係者からは、後者の事態を危惧する声が圧倒的に多かった。


~~~~~~~~~転載終わり。