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金イタコもどきの儀式で先祖が救われるというのは、元々原理ではないよne


3. 金イタコ

 神社神道系です。少し間違ってとらえておられるようです。
 原理講論の内容自体が間違っているようです。肉身生活を通してのみ霊人の復活があるようになっている所です。肉身を通さなくても霊人の復活や向上はあり、むしろそれが宗教や霊能者の大きな役目なのです。

 神慈秀明会や真光教団は、手かざしという方法で、霊人の復活、向上、浄化を行います。
 神道系である私たちの団体には、徐霊を行う人達が、約2000名いて、救霊士といいます。
 相手の肉身とは、全く関係なく霊人の復活、向上、浄化を行います。神仏によって教えられた方法を使います。神仏の力と許しによってできるのです。

 原理講論でいう使命未完成な霊人が地上人に協助して霊人の復活がなされるというのもおかしいです。
 生きている人間は、自分の使命なんかわからないのです。どう生きるべきかわからないのです。だから、みんな悩んで苦しんでいるのです。
わからないから、ここに何かあると思い、T教会なんかに入ってしまうのです。
 そんなわからない人間が、死んで行く所が霊界です。霊界の人達もまた、どうすべきかわからず、悩んでいるのです。

 使命の判らない霊人達が、使命の判らない地上人達を協助し、復活するというのは、溺れている人が、溺れている人を助けるというような意味となり理論的におかしいのです。

 自分の使命や行くべき道が判らず、悩んでいる事が大切なのです。その悩み、苦しみを解決しようともがき、何かを探し求め、様々な努力を積み重ね、そしてその何かを見つけ、悟った瞬間、自分の霊界が向上するのです。
 一つの問題を解決してもまた次がやって来るのです。そうやって、努力し続け、求め続けて自分の魂は、少しづつ上がって行くのです。
 霊界においても同じです。何かを学び、悟った瞬間、今いる霊界から上の霊界に上がるのです。学びや悟りがなければ、同じ霊界に留まるのです。

銀河の菊理姫 2014-10-15



コメントへ、正直なレスを頂き、いつもありがとうございます。
コメント欄に留めるのではなく、皆さまにロムして頂きたいと思いUP致しました。




>自分の使命や行くべき道が判らず、悩んでいる事が大切なのです。その悩み、苦しみを解決しようともがき、何かを探し求め、様々な努力を積み重ね、そしてその何かを見つけ、悟った瞬間、自分の霊界が向上するのです。
 一つの問題を解決してもまた次がやって来るのです。そうやって、努力し続け、求め続けて自分の魂は、少しづつ上がって行くのです。<

確かに、そうかもしれませんね。
入教前、私の周りでは様々な事が巻き起こっていました。
その中で、道を考えあぐねていたことは確かで・・・
統一教会との出会いはその一つだったのでしょう。もう、卒業ですけど・・・
教会内で得たものも大きかったというのは真実な事です。


統一教会の教義では、亡くなった時点での内容がすべてであるという事が最初の段階でしたが、今は解怨により霊界の人を救うという観点は、後に天地正教などの仏教的観点も入り、免罪符のようなお札など解怨により多大な資金を集める事を覚えたというのが正直なところでしょう。
金もうけの教団ということになります。


感覚的には、銀河の菊理姫様の言うように霊界でも霊たちは成長・・・というか、納得してひとつずつ前進して行くというような感覚があります。
私の前世は男性のように感ずるのですが、やはり・・・地上にはまた修行に来たような感覚があります。あくまで、霊能力がある訳ではなく感覚的なものだと思いますけどね。
行くべき道が、他にある事を最近は感じておりますので、これもまたひとつずつ積み重ねです。修行はまだまだ続きますね・・・。




自分の中の感性を、思い起こせば気付く人が沢山いるでしょう。


私のブログがその参考になれば幸いだと感じております。





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