青字はナツミカンが入れた個人的感想です。

http://www.psy-nd.info/counterm/principle.html

人間関係に原則をつくる

人間関係を築いていく上で「誰と、どんな風に付き合っていくか」ということを迫られる機会は沢山あると思います。

そして、よほど割り切った考え方を出来る人でない限り、
「相手にどこまで自分の本音を言って良いか?」
と考えたり、
「何が起こったらその人との人間関係を断ち切るべきなのか?」
という判断に迷うことはよくあるのではないでしょうか。

サイコパスに同情心を利用されたり、優柔不断につけ込まれたりしないためには、自分自身の中に「人間関係の原則」を持っておくことをお勧めします。

人間関係の原則とは?

人間関係の原則というのは、「○○な相手とは深く付き合わない」(あるいは完全に人間関係を断つ)とか、「○○な相手とだけ深く付き合う」というような自分なりのルールのことです。

付き合いが長かったり、相手に同情してしまったりすると、ついつい望んでいないはずの人間関係をズルズルと続けてしまうことがありますので、人間関係に明確なルールを決めておくことでこれを防止しようという考え方です。

例えば私の場合は、「自分より下の立場の相手に冷たい態度をとる人とは個人的に付き合わない」と決めています。

これは例えば、上司に対してはとても腰が低いのに、部下に関しては人間性を否定するかのごとく怒鳴り散らす上司とか、自分のお客に対してはひたすら態度が丁寧なのに、自分が客として店員や係員などに接するときは高圧的になる人などが該当します。

このような人は結局、浅はかな損得勘定をベースにして人と付き合っているので、もしも自分が気に入られて一時的には仲良くなれたとしても、最終的にはロクな事にならないと思うからです。

他にも、人間関係の原則としては以下のようなものが考えられます。

3回嘘をつかれたら、もうその相手を信用しない。(「良心のない人たち」より引用)
・頻繁に「お金を貸してくれ」という異性とは交際しない。
・同情にすがる人を助けるのは「一人につき一回だけ」と決める。

人間関係という微妙なものに対して、全てを機械的に判断するのは無理かも知れませんが、少なくとも何のルールもない状態よりは、判断を下しやすくなるのではないかと思います。

http://www.soshisha.com/book_read/htm/1472.html

良心をもたない人たち
──25人に1人という恐怖
マーサ・スタウト 著 / 木村博江 訳
 精神医学の専門家の多くは、良心がほとんど、ないしまったくない状態を、「反社会性人格障害」と呼んでいる。この矯正きょうせい不可能な人格異常の存在は、現在アメリカでは人口の約四パーセントと考えられている──つまり二五人に一人の割合だ。
 この良心欠如の状態には、べつの名称もある。「社会病質ソシオパシー」、ないしはもっと一般的な 「精神病質サイコパシー」。じつのところ罪悪感の欠如は、精神医学で最初に認められた人格障害であり、過去には譫妄せんもう(錯覚・幻覚・異常行動をともなう状態)なき狂気、精神病質的劣勢、道徳異常、道徳的痴愚ちぐなどという言葉も使われた。
 精神病の診断でバイブルとされている、アメリカ精神医学会発行の『精神疾患の分類と診断の手引』第四版によると、「反社会性人格障害」の臨床診断では、以下の七つの特徴のうち、少なくとも三つをみたすことが条件とされている。

 一、社会的規範に順応できない
 二、人をだます、操作する
 三、衝動的である、計画性がない
 四、カッとしやすい、攻撃的である
 五、自分や他人の身の安全をまったく考えない
 六、一貫した無責任さ
 七、ほかの人を傷つけたり虐待したり、ものを盗んだりしたあとで、良心の呵責かしゃくを感じない
 ある個人にこれらの“症状”のうち三つがあてはまった場合、精神科医の多くは反社会性人格障害を疑う。
 だが、アメリカ精神医学会の定義は、実際のサイコパシーやソシオパシーではなく、たんなる“犯罪性”を説明するものだと考え、精神病質者サイコパス全体に共通するものとして、べつの特徴をつけ加えた研究者と臨床家もいる。そのなかで最もよく目につく特徴の一つが、口の達者さと表面的な魅力である。
(まさに、話が止まらない文鮮明に当てはまります。)
 サイコパスは、それでほかの人びとの目をくもらせる──一種のオーラとかカリスマ性を放つのだ。
(確かに文鮮明にカリスマ性が有ることは納得)
そのため彼らは、最初のうちは、まわりにいるふつうの人びとよりずっと魅力的でおもしろい人間に見える。ほかのだれよりも気さく、真剣、“複雑”、セクシー、楽しい、といった印象をあたえる。
 この「サイコパスのカリスマ性」は、オーバーぎみの自尊心をともなうこともあり、最初のうちは相手をおそれ入らせるが、よく知るにつれて、人はうさん臭さを感じたり、失笑したりするようになる(「僕がどれほど特別な存在か、いつか世界じゅうが知るようになるだろう」「僕とつきあったら、もうほかの男じゃ満足できなくなるよ」)。
(これって、文教祖のことを見ながら発言しているように見える笑) 
そしてまた、サイコパスはふつうの人より刺激にたいする欲求が強く、結果として社会的、肉体的、経済的、あるいは法的にリスクを冒すことが多くなる。特徴をあげると、彼らは人を惑わせて危険な冒険に引きずりこむ。共通して病的に嘘をつき、人をだます
(嘘嘘嘘で固めた文教祖、特に日本人に自虐歴史の大嘘を教え込み・・・、騙すのが大好きな文教祖でした。息を吐くように嘘を付き続けるのはお手のもの。92年の映像だったかな?「12歳の時1億を指揮していた!」って大嘘付いてたなぁ。洗脳された信者ばかりでかなりの人数聞いていただろうけど、気付いた人が何人いるだろう?たぶん、そこにはひとりも教祖の嘘に気づいてはいなかったのかも)
あるいは“友人”に寄生虫のように寄りかかる。
(初期の頃、狙うのは金持ちの女達、「理想の相対に会いたくありませんか」と誘い込み食い物にすることが生きがい?使命と感じていた男でした。自分のことブラジルで60マリアと白状していたけど、それよりもっと食べていただろう。元妻の叔母、そしてその娘達総餌食となっている
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/225438/
オウムの麻原よりお盛んだった。振り返ればカルトの文教祖って女と金に埋もれて生きていたって事なのかもね?)
いかに高度な教育を受け、社会的な地位が高くても、幼年期に問題行動を起こした可能性もある。ドラッグをやったり、少年犯罪でつかまったりしたかもしれない。そしてつねに、いかなる問題にたいしても責任を感じない点は共通している。
 感情の浅さも、サイコパスのめだった特徴である。口では愛していると言いながら、その愛情は底が浅く、長続きせず、ぞっとするほどの冷たさ を感じさせる。相手に感情移入することはなく、パートナーに心から興味を抱いて感情的きずなを結ぶこともない。魅力的な仮面がはがれ落ちたとき、彼らの結婚は愛のない一方的なものになり、短期間で終わることがほとんどだ。 (鶴子さんもお気の毒よね。妾は盛りだくさんいたし、庶子も多数、終いには私が生みますと宣言したのはいいけど、その数14人、9人目後からは医者から止められていたのに、ナント最後のほうでは4人を帝王切開で生まされた。冷たさなんて次元じゃなく拷問のような日々だったでしょう。呼吸器を止めたくなるのも無理はない・・・?それにしても、しっかり子育てしないから子供達はハチャメチャで飛んでもないことになってる。真の家庭なら表に出しても恥ずかしくない子供達に育てなくちゃだめでしょう。
洗脳されてる信者は、真の家庭はサタンから狙われるトウゲンがある・・・それだけで納得するア○な信者が多数いる。)
サイコパスにとって結婚相手が価値があるとすれば、それは所有物としての価値で、彼らは失うことに腹を立てるが、悲しんだり責任を感じたりすることはいっさいない。
 これらの特徴と、アメリカ精神医学会が作成した“症状”リストは、どちらも良心を欠いた精神状態が行動上どう現れるかをしめしたものだ。
 異常な、恐ろしいこの状態が、人口の約四パーセントに現実として存在するのだ。

(明らかに文鮮明は、人口の約四パーセントに存在する代表的なサイコパスであると感じます。30年近く信者であった私から客観的に見た文教祖を、私が代わりに文教祖に当てはめてサイコパス・テストをしてみると、ほぼ完璧にサイコパスであるという結果でした。
サイコパス・テスト

マーサ・スタウト
米国のマクリーン精神病院で研修を受け、心理セラピストとしてトラウマを抱えた患者の治療を25年間つづけてきた。現在はハーバード・メディカル・スクールの精神医学部で心理学講師および臨床インストラクターを務める。豊富な臨床経験から、カウンセリングにくる患者の多くが「良心のない人」に苦しめられている事実に気づき、本書を発表。他の邦訳書に『おかしい人を見分ける心理学』(喜須海理子訳、はまの出版)がある。マサチューセッツ州在住。

木村博江
1941年生まれ。国際基督教大学卒業。翻訳家。訳書に『なぜ美人ばかりが得をするのか』『女の子はいつも秘密語でしゃべってる』など多数。

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恐ろしいほどに文鮮明のことを言い当てているかのような内容です。

他のサイトではサイコパスは遺伝的部分が大きいと主張している方もいます。