「統一教会の素顔」より
S隊長
一番ひどい傷を負い、重いギブスに固定されながら、隊員のことばかり心配していたようである。
彼も“合同結婚”6516組のひとりであった。早速、彼の“相対者”(妻)は、所属の関東ブロックから指示を受けて病院に駆けつけた。S隊長は運転手も兼ねていたので、二名死亡、五名重軽傷の直接の責任者である。このS隊長が万一落ち込んで信仰を失い事実を供述したら統一教会の名前が出て大変なことになる。そこでS隊長を励まし勇気づけ、信仰を奮い立たせる最適任者として、“相対者”のGさんが送りこまれて来たのだろう。
ところが、その役目を強化するためか、Gさんに対して、あらかじめ苛酷で卑怯としかいいようのない姑息な手段が取られたのである。
Gさんをはじめ全“食口”は、すべての出来事は“霊界”の深い意味があって起こるものだと信じている。 「原理講論」には、この世界(有形実体世界)は“霊界”(無形実体世界)の影のような存在だと教えられている。だから尾鷲の事故の背後にも必ず“霊界”の事情が存在するに違いないのである。入院中の四名の女性たちは“アベル”から「日本の“食口”が果たすべき“責任分担”を果たしていなかったことが原因だ」と聞かされていた。
だが、Gさんが関東ブロックの“アベル”から聞かされた説明は全く違っていた。
“アベル”は、「今回の事故はあなたの責任である。Gさん個人が果たすべき“責任分担”を果たしていなかったので、それが、“サタン”の“条件”となって、その“蕩減”として“相対者”のS隊長が事故を起こしたのだ」と言ってGさんを厳しく責めたという。
このように、罪の意識を持たされて、GさんはS隊長の看護に送り込まれてきた。彼女のショックはいかに大きかったことか。彼女は涙ながらに詫びながら、入院中の女性たちに靴下セットをプレゼントしたという。給料といえるものは月に一万五千円だから、相当の無理をしたに違いない。彼女は、「亡くなったCさんとDさんに、私は何といってお詫びしてよいのか・・・・・・。すべては私の責任です。私は一生涯、この重荷を負って生きていかねばならない」と語っていたという。
その後、Gさんは関東ブロックからSさんのいる中部ブロックに“人事”となった。「事故は自分の責任」と信じている彼女は、その“蕩減”として、S隊長が交通刑務所で何年の刑に服しても、彼の信仰を支え、どこまでも組織のために忠実にうそをつき続けるよう彼を励まし続けるだろう。S隊長はおそらく一生涯後遺症で悩まされ、いつ教会から棄てられるか、自分から統一教会を去るかすることになるだろう。そしてGさんも“相対者”のSさんと運命を供にし、体の不自由な夫に仕えていく道を選ぶのではないだろうか。
S隊長の病室には、いつも母親が付き添っていた。
しかし母親が一週間ほどで帰宅し、付添婦がそばにいた時があった。このときは以前のマイクロ隊長だったIさんが、打ち合わせや対策のため、ずっとベッドの傍らに詰めっきりだったという。Sさんもまた、ベッドで対策の本をあれこれと読んでは勉強していたという。(P72~P74)
業務上過失致死 1991年1月25日 名古屋地裁豊橋支部判決 禁錮1年の実刑 尾鷲事件 1988年12月12日、マイクロ活動中の運転担当信者Q男(S38.3生・当時25)が、過労のため仮眠状態となったためコンクリート壁などに激突し、25女、23女の2名死亡、4名(23、25、21、23いずれも女)重傷。 |