「青春を返せ裁判」B陳述書(98年7月) より

統 一 教 会 の 献 金 体 制


私は、今でも、この時の状況を考えると、自分の意思で献金したとは思えず、
  どのように考えても、組織ぐるみで奪い取られたと言う他ありません。
  何故なら、普通の状況の中での献金ではなかったからです。

1、「献金を迫る」ことは事前に知らせない


一九九〇年二月二七日
  I子さんやN子さんから「B子さんの今後のことについての重大な話がある」と言われていましたが、その内容については、全く教えられませんでした。
この日は、まず「万物と人間の関係」というビデオを見せられました。
人間は堕落によって、神様との距離が万物以下になっている。
神様のもとへ帰って行くためには、人間より神様に近い万物を通さなければならない。という内容でした。

ビデオの後で、I子さんが、サンドイッチを出してくれました。
今日の話は長くなりそうだから、ということでした。
食事の後、小会議室へ通されました。

今後の大切な話は、I男講師からされることになっていました。
どんな話になるのか、全く見当がつきませんでした。


2、「献金」をしなければならない状況へ

I男講師からは、最初に「万物復帰」についての講義がありました。
講義の後、I男講師からB子さんも神様の前に万物を捧げなければ、復帰の道を歩くことはできない。と言われました。
「万物」と言われても、何を捧げたらよいのか見当もつきませんでした。
すると、I男講師が、私の心を読んだかのように、
万物といっても何でもよいわけではない。
やはり万物の王者であるお金を捧げるのが一番よい。
神様もお金を一番に喜ばれる。と提言してきたのです。
実際、私は本当にびっくりしていました。
僅か二ヵ月足らずの間に、ビデオセンターへ入会させられ、よりよい人生を歩むための学びをしていたはずが、いつの間にか、人類の堕落から復帰の話になり、救いの道は、再臨主「文鮮明」と統一教会にしかない、と断言され、いきなり、人類は万物以下だから、神様に近づくためには、献金しないといけない。という話の展開なのです。


しかし、私には、献金を断ることができませんでした。
私は、ビデオセンターで、霊界の存在と誰も天国へ行けない現状を教えられて、このままだと皆地獄へ行くと言われ、因縁トークでは自分の家系が絶家に向かっかっていると言われ、弟の生命が危ないと宣告され、解決の方法は、私が三四歳までに変革することであり、変革するにはビデオセンターで学ぶしかないと言われ、しかも、それは人間個人の努力では解決できず、堕落した人間は再臨のメシアによる救いを受けなければ、本当の解決はないと断言されていたために、私は文鮮明と統一教会を受け入れるしかありませんでした。

このような矢継ぎ早な展開の中で、今は献金を迫られているのです。

I男講師の話は、どうしても献金をしないと復帰の道を歩むことができないことを強調していました。
一〇〇〇万円も二〇〇〇万円も献金しろというわけではない。
金額は多ければ多いほど、神様は喜ばれるけれど、B子さんにそれだけのお金がありますか。

この言葉で、いったいどれ位の金額を要求されているのか、想像がつかなくなりました。
I男講師は、B子さんの持っているお金の中での出来る範囲でいいから、と言いましたが、あくまでも、全財産の拠出を促されているかのようでした。
私は献金額をいくらにすればよいのかで、ずいぶん悩みました。
万物復帰の内容からも、これまでのビデオセンターでの学びの内容からも、神に万物を捧げなければ、救いの道が閉ざされて、地獄へ行くことを意味しました。
それは、私ひとりの問題ではありませんでした。
私の決断によっては、先祖や家族の救いが全て閉ざされてしまうのです。
I男講師は、大金持ちがいくら大金を献金しても自分の所持金の中の一部であれば、神様は喜ばれない。
しかし、貧しい人が僅かな金額でも全額を献金したら、神様は喜ばれる。という話をしました。
これは、聖書からの引用でした。
私は心の中で激しく葛藤していました。
自分から献金額を提示することはできませんでした。
いくら献金をするのか、金額が決まらないままに時間だけが過ぎていきました。すると、痺れを切らせたI男講師が、B子さんが、自分で決められないなら、私が神様に尋ねてみますので、ここに所持金の全てを書き出してください。と言って、私の書いた金額を確認してから、席を外しました。

統一教会では、事前に亀甲アンケートで調べている対象者の所持金から献金の目標額を設定して、組織ぐるみで、SKクロージングに臨んできます。
この時も、目標金額は決まっていたはずですが、I男講師がすぐに金額を提示しなかったのは、神様の意志を強調することに重要な意味があったからです。

しばらくして、I男講師が戻ってきました。
そして、重々しい口調で、B子さんには、四〇数から、四〇〇万円の献金をしてもらうことになりました。と言いました。

いくら何でも、それは私にとっては信じられない金額でした。
当時の私の所持金は、生命保険も含めて、四五〇万円でした。
一瞬の間に、様々な思いがかけめぐりました。
自分の状況を考えても、一人暮らしのうえ、アルバイトで生計を立てている身で
したし、あと数か月でアルバイト契約が切れることを考えると、所持金は多いにこしたことはありません。
当然のことながら、神様は私のそのような状況を考慮してくれた上で、献金額を決めてくれるものと思っていました。
しかし、神様の要求した金額は、全額に近い四〇〇万円という金額でした。

私は、I男講師に、自分はアルバイトで生計を立てていることを伝えました。
すると、I男講師は、働いている間は収入があるではないか。
アルバイトの期限が切れたら、統一教会系の企業で働く方法もある。
統一教会系の企業の方が人間関係の煩わしさもない。
むしろ、その方がいい。と言って、金額の修正は考えてくれませんでした。
I男講師の長い長い説得で、現在の生活に固執している自分が大きな過ちの中にいるように思えてきました。
そう考えていた時に、I男講師に、復帰の道を行くためには、神様に万物を捧げなければならない。
生命を捧げろというわけではない。
お金を出すだけで、救いの道を歩き始めることができる。
何を躊躇することがあるのか。と言われたのです。
その時、私の中に、再び霊界への恐怖心がよみがえりました。
また、今の生活と引き替えに先祖や家族の救いを放棄しようとしていたことが、
これまでと違った恐怖心となって私を襲いました。
救いの道を知っているのは私だけなのです。
救いの道を知らされながら、自分の独断で、自分だけでなく先祖や家族の救いの道までも閉ざしてしまうのは絶えがたいことでした。
例え、この場からこの身は逃げられても、この思いからは永遠に逃げられないことも本能的に感じ取っていました。
神様の要求のままに四〇〇万円を献金することしか、全ての解決方法はありませんでした。それしか、答えが用意されていなかったのです。
それが、先祖と家族を救いに導くための唯一の解決方法であり、神から最初に与られた私自身の使命であり義務でした。
そして、長い時間、狭い空間の中で、同じ話を何度も何度も繰り返され、私の気持ちが変わるまで何度も何度も説得され、体力的にも精神的にも限界にきていてかなり疲れている状態でした。
私は、I男講師のお金で済むならそれでいいではないか、という言葉にうなづいていました。

I男講師の話の後で、N子さんに、この献金は、心から感謝してしなければ意味がない。と言われました。
私は、自分自身の意思ではなく、先祖や家族の救いのために献金しなければならなかったという思いでいたので、
N子さんの言葉に自分が恥ずかしくなって、献金は四〇〇万円と決められましたが、五〇万円だけを残しておくのもバツの悪い思いになり、全財産の四五〇万円を献金すると申し出てしまったのです。
これが、逆に五〇万円の献金額であったなら、こういう気持ちにはならなかったと思います。四〇〇万円と四五〇万円では大差ない額に思えたのです。

N子さんは、献金額のことはI子さんに相談するように、と言いました。
I子さんに、そのことを伝えると、B子さんには、海外セミナーにも参加してもらいたいので、二一数から、二一万円を追加した金額を献金額として、残りの二九万円は、ビデオセンター預かりにしましょうと言いました。
そして、三日以内に四五〇万円を用意することを約束させられました。

気がつくと、ビデオセンターに来てからすでに五~六時間が経過していました。
ビデオセンターを出たのは午後一一時か一二時の間でした。

3、現金は三日以内に集金 


一九九〇年二月二八日
献金を決めさせられた翌日、もう一度、I子さんとN子さんから、献金の催促がありました。
本当に三日以内に現金が用意できるのか、の確認でした。
預金については、定期預金を解約に行くだけでした。
ところが、N子さんから、いきなり「委任状」を出されて、職務中に外出するのは難しいと思うので、私が代わりに行ってきてあげるからここに、署名と印鑑を押して、と言われたのです。
私は、一瞬、どうしてここまで、と思いましたが、N子さんがあまりにも一生懸命だったので、言われるままに署名と印鑑を押して、通帳と印鑑を渡しました。
しかし、生命保険の解約に関しては、一週間かかる、と担当者から言われたのでその旨はI子さんに伝えていましたが、
N子さんは、そのことを知って、
B子さんは、神様に嘘をついた。と言って、私をなじりはじめたのです。
その日は、そのことで、夜遅くまで口論を続けました。
気がつくと、深夜の二時になっていました。
結果的には、何とかお互いの言い分が理解できたのですが、   
献金に関して、私の中に、ある種のしこりが残りました。

翌日、N子さんは、統一教会の兄弟の運転する車に、私を乗せて、F 書店(現B )の担当者のところへ行きました。 
それは、生命保険の解約の日数を確認するためでした。
しかし、結果は同じでした。それで、やっとN子さんも納得してくれたのです。
このようにして、私の全財産は、統一教会に奪い取られてしまいました。
この時には、気がつきませんでしたが、全財産を奪うことは、もちろん統一教会の神である文鮮明がお金を欲しがっているためでもありますが、対象者の生活の基盤となっているものをはぎ取っていくことで、統一教会への依存心を強めていくためでもあったのです。


4、統一教会への献金を正当化するための「献金式」

一九九〇年三月二日
西古松にある統一教会の教会で「献金式」が行なわれることになりました。
「献金式」は、教会の二階にある祈祷室で、i男教会長、F子さん、N子さん、
私の四名の参加で、一人ずつ、感謝の祈祷を行なうことで進められました。「献金式」が終わると、私の気持ちも落ち着いていました。

献金したお金への執着も消えかけていました。

5、献金後のアフターケア

一九九〇年三月三日
この日に見せられたビデオは「真実」と「ブラザー・サン、シスター・ムーン」でした。
とりわけ「ブラザー・サン、シスター・ムーン」は、久しぶりに見る映画でしたが、万物にこだわって生きていくことの愚かさを痛感させられるものでした。
神様に全てを委ねていけば、必要なものは神様が与えてくれるということを教えるためのものでした。
全財産を献金したことで、神様により近くなったような感じにさせられていまた。

しかし、この時にはわかりませんでしたが、統一教会の神様(文鮮明)は、私たちに莫大な金額のお金を要求し続ける存在であり、私たちの方が逆に面倒を見なければならない存在だったのです。

http://www.asahi-net.or.jp/~am6k-kzhr/b9807tin.htm より転載一部加工



多少の違いはあれど、私は昔のS展で霊石を買う事になり、ゼロに近い状態になりました。献身してホーム生活する一ヶ月位前の展示会だったように記憶しています。

神様に近づく為には、一旦全てを捧げなくてはいけないと、教会のチャーチマザーに言われ・・・お決まりのラインだったのでしょう。

これで、貯蓄ゼロです。

すべての献身前の儀式というべきか・・・仕事をして貯蓄していた人は捧げ切らせられるのは当然のことだったのではないかと思われます。


その後、献身し・・・環故郷(=解放)で貯蓄があるわけでもなく、ゼロで自宅へ親が温かく迎えてくれる・・・。

家庭を持った後からがまた凄い展開で、教会はやっと自立にこぎ着けた人からも高額献金要請の連続!16万女性訪韓を始めとして・・・行動する度に高額献金=義務献金が蓄積されて行くのでした。献金がダメなら高額商品購入を迫り、借り入れローンしてまで献金です。

もちろん、率の高いカードローンになります。

バカな私は、返済中でございます。



幹部韓国人て、すべてを捧げている人って居るのでしょうかね?

カードローンで献金している人いますか?居るわけないよね(笑)

三男氏と郭氏は行動が近いと私は感じています。よく郭Gと言われて反発する方がいますが、郭氏は天地正教からの献金から20億も懐に入れているのです。他にもあるってことでしょうね。

このような横領は、幹部の郭氏だけではないでしょう。幹部で横領してない人っているのかしら~?

それで、基元節で一旦はチャラでしょうが、約束事を守るのは損と考える韓国人ですから・・・きっと、次の日から作戦をまた考えた事でしょう。

たとえば・・・宋総会長は家族で九州旅行♪もちろん、献金で♪これって、讒訴条件じゃなく公務の一環だと言い張ったりするのでしょうね・・・(笑)

抜け目ないです!!!


郭氏は、横領が解かりそうになると、文氏の前で日本人を叱りつけ逃げるお得意の戦法をみせました。

グループと言われても仕方ない状況でしょうね。


>神に万物を捧げなければ、救いの道が閉ざされて、地獄へ行くことを意味しました。

このように思わせられた訳ですが、韓国人の救いの道ってあるのでしょうか?

横領三昧、築かれた経済の上に居るだけのような人達ばかりなのですが、万物を捧げないと救いの道が閉ざされるなら教祖始め一族側近すべて救いは閉ざされているように見えるのですが、違いますかね?



金さえ払えば後はどうでもいい!金の臭いには敏感だけど信者の幸せには無頓着な統一教会


献金の使い道→「なんじゃ~こりゃ~~!」って感じです。