スーパー耐久開幕戦を終え、感謝の気持ちを伝えたくて、この文章を書いています。
 


昨年12月末からSNSを始め、今年に入ってからはサーキットで多くの方に声をかけていただけるようになりました。

その一つひとつが本当に嬉しく、今の自分がどれだけ支えられているのか、言葉では言い尽くせません。

 

復帰して今年で4年目になりますが、当時は家族も含め周囲には全く伝えていませんでした。

どのくらい続けられるのか分からず、このタイムで「復帰」と言うことにも迷いがあったからです。

 

自分の中での礼儀として、現役時代にお世話になったスポンサー様や所属チームの皆様には、真っ先にご連絡しました。

 

その中で、当時のパーソナルスポンサーの方が「もう一度サポートしたい」と言ってくださったとき、どれだけ深いご縁だったのかを改めて実感し、胸が熱くなりました。

 

私の人生そのものを、ずっと応援してくださっていたんだと。止まっていた時間が、再び動き出したように感じました。

 


SNS開始をきっかけに、

「復帰していたのを知らなかった」と、20代の頃に応援してくださっていた方々から多くのご連絡をいただきました。

 

さらに同年代の方からは、

「インスタ見て号泣しました」
「励まされました」
「もう一度、自分も人生やり直そうと思った」

そんなメッセージも数多く届きました。

 

そして今回、多くの方がサーキットに足を運んでくださいました。

 

これから大きく伸びていく若いドライバーではなく、50歳を迎えようとしている私のために、時間とお金をかけて会いに来てくださる。

こんなことが起きるなんて想像もしていませんでしたし、人生にはこんな奇跡のようなことがあるのだと驚いています。

 

私は一度レースをやめ、もう二度と戻らないと決めていました。

 

それでも心のどこかで、

応援してくださっていた方々の気持ちを裏切ってしまったのではないか——

そんな自責の念を抱えながら、ずっと過ごしてきました。

 

だからこそ、再びサーキットに戻り、

また応援してくださる友人やファン、スポンサーの皆様にお会いできて、変わらず応援してくださっている姿を目の前で見たとき、

何度「ありがとう」と言っても足りない気持ちが込み上げてきました。

 

言葉がなくても、心で通じ合っているような感覚。

20年以上の時間が、一瞬でつながったように感じられました。

 

現役時代、一番苦しかった時期を支えてくださった方々が、こうしてもう一度、変わらず支えてくださっている。

 

こんな自分を、また応援してくれる人がいる。

それだけで、どれだけ救われているか分かりません。

 

今年どこまで成長できるのかは分かりません。

それでも、期待を裏切りたくないという思いが強くあります。

 

結果を出し、皆さんと一緒に喜び合えるように。

「三上和美を応援してきてよかった」と思っていただけるよう、これからも全力で走り続けます。

 

本当にありがとうございます。

 

前回の続きです。

そんなある日、あるご縁が訪れました。

 

とあるイベントでそこにいらっしゃった方の一人、偶然同席していた息子さんが私の顔を見るなり、待ってましたと言わんばかりに、「本気で日本語を学びたい」「将来、日本で働きたい」と熱心に語ってくれたんです。

彼は以前から人伝に私の話を聞いてくれていたようで、初対面とは思えないほど、まっすぐな想いをぶつけてくれました。

 

2時間ほど、真剣に彼の話を聞きましたが、やはり当時は時間の余裕がなく、他の学校をご紹介することに。

 

でもその後も、「どうしても私から学びたい」という熱意が、お母さまを通じて何度も届きました。あまりにまっすぐで、強くて、次第に心を動かされてしまいました。

 

結果的に、私が折れる形で、初めての日本語レッスンを開催することになりました。

 

 

 

実際に教えてみると──正直、自分でも驚くほど楽しかったんです。

 

対象は、フランス人とハーフの子どもたち。

彼らの目の輝き、集中力、吸収力。そのひとつひとつに、私自身がどんどん引き込まれていきました。

 

やっぱり、教えるというのは“与えること”ではなく、“共有すること”

その場で生まれる空気、対話、笑顔──すべてが私にとっても学びになっていて、実践の中でその本質に改めて気づかされました。

 

レッスン後、お母さまから「子どもが、こんなに夢中で勉強し始めたのは初めてです」と温かいメッセージをいただきました。私自身、教えることに手応えを感じた瞬間でした。

 

後から知ったのですが、そのお母さまは、フランスで活躍されているアフリカ系アメリカ人のシンガー。お父さまも音楽業界の著名な方でした。初めてお会いしたときから、ただならぬオーラを感じていたのですが、その理由が自然と腑に落ちました。

 

このご縁から、また新たな出会いやプロジェクトにもつながり、音楽・教育・文化といった世界へと関心の幅が広がっていきました。

 

教育の力って、本当にすごいですね。

 

 

 

今は日本に戻っているため、日本語教師としての活動はいったんお休みしていますが、またフランスに行ったとき、子どもたちに会えるのが今から楽しみです。

 

今回の経験を通して、ひとつだけ確信したことがあります。

導かれるときは、どんなに避けても、その流れに自然と乗ってしまうものだということ。

長年、距離を置いていたことでも、やがて自分に返ってくる。不思議だけど、どこか納得のいく感覚でした。

 

そして改めて感じたのは──

やっぱり出会いこそがすべてだということ。

 

出会いが人生を変える。
動かなければ出会えない。

そして出会いの先にこそ、自分の役割がある。

そう強く実感した時間でした。

 

この経験をきっかけに、自分がこれからどう変わっていくのか──

その先にどんな出会いが待っているのか。

自分自身も、とても楽しみにしています。

 

歩いていたら、偶然友人の経営者とばったり。

いつも会うたびに励ましてくれて、心が前向きになる。

この国の人たちは、情熱的で、思いやりにあふれてて――ほんとに優しい。

「日本語を教えてほしい」──そんな声を、友人や知人からいただくようになったのは、数年前のことでした。

 

その頃はまだ、深く考えていたわけではありません。

「趣味としていつかできたらいいな」「引退後の活動にも良さそう」と、軽い気持ちで考えていました。でも同時に、「日本語ってどんな仕組みで成り立っているんだろう?」「外国の人にどうやって伝えれば、ちゃんと届くんだろう?」そんな純粋な興味も湧いてきて──。

 

フランス語学校を運営する立場としても、この学びがいつか役立つかもしれない。そう思って、思い切って通信制でオーストラリアの日本語教師養成講座を受講することにしました。

 

そこで学んだのは、

•日本語を日本語で教える指導法

•英語で日本語を教える技術

•言語習得に関する心理学 など。

 

420時間の履修が必要なカリキュラムで、想像以上に本格的な内容でした。

 

 

正直、仕事をしながらこの勉強を進めるのは想像以上に大変でした。

当時は仕事も多忙で、海外出張も頻繁。どこにいても参考書を手放せず、機内での勉強はもちろん、カリフォルニアのロングビーチで沈む夕日を見ながらサンドイッチ片手にノートを広げたこともありました。ロサンゼルスの公園でリスと戯れながら勉強したのも、今となっては笑い話です。

 

「アメリカ出張の思い出=日本語教師養成講座」

そんな状態でしたが、どんな場所でも、どんな状況でも、毎週の宿題と課題に向き合い続けました。やるなら、ちゃんとやる。いつもの自分のスタイルです。

 

 

とはいえ、最初から「日本語教師として働こう」と思っていたわけではありません。完全にボランティアのつもりでした。

 

でも、誰かに何かを教えるというのは、その人の人生に関わること。だからこそ、教えるなら中途半端ではダメ。プロと同じレベルを目指すべきだと、自然にそう思っていました。

 

資格を取ったあとも、日本語を教えてほしいというお声をいただくことは何度もありました。でもそのたびに、日本語学校やオンラインのレッスンを紹介していました。

 

理由はシンプルで──

当時は新しいプロジェクトや大きな案件をいくつも抱えていて、会社としても非常に重要なフェーズにいました。とてもじゃないけど、自分が直接教える余裕なんて、1ミリもなかったんです。

 

それに、「日本語を教えるのは老後の楽しみに」と決めていたこともあって、今じゃない、まだ早い──そう思っていました。

 

でも──

人生は、思ってもいなかった形で、そっと背中を押してくることがあります。

そんな“予定外の出会い”が、私の中の何かを静かに動かしていきました。

 

後半に続く