着飾り魅了する術を持ち合わせていないなら

どれだけ心を素っ裸にできるかだな。。。


この映画を観ていて、そう思った。

河瀬直美監督の『あん』。


親しい友人に勧められ、観る機会が3カ月おきに2回ほど訪れてたのに、阿呆なあたしはそのどちらも逃していたのだけれど>_<

3度めにして、神様もいい加減観ろやー‼︎って思ったのか(^_^;)、自分にとって最高のシチュエーションでようやく拝見することができました。

上映会に誘い出してくれた、たいせつな友人に心から感謝>_<。

で。

何から言えばいいんだろ笑

いっぱいあり過ぎて、想いがあふれまくってしまう...苦笑


それでもひと言で言うならば

自分の内側にぴたりと吸いついて、そこからじわぁっと浸透して、養分となり一体化してしまうような、自分にしっとりとやさしく馴染む映画だった。

「すべてのいのちは、言葉を持っている。

だから、その声にただひたすら、耳を澄ませるの。

小豆がこれまでどんな旅をしてきて今ここに居るのか、その声を聴くのよ。」

って、まるで少女みたいに嬉しそうに話をする徳江さん(樹木希林)。

あたしはこういう、無垢な少女みたいなおばあちゃんに、ほんと弱いんだなぁ。。。(T_T)♡

おばあちゃんの作る粒あんの味が、信じられないほどに美味しく、たちまち千太郎(永瀬正敏)のどら焼き屋、どら春は街で評判になる。

が、このおばあちゃんが実はハンセン病という病気で、施設から抜け出してここに来ているという噂が広まると、途端に店には誰もお客さんが来なくなってしまう。


気になって家に帰ってすぐ、ハンセン病の事を調べてみた。

ハンセン病はらい病とも呼ばれ、その見た目から業病、呪いなどと言われて社会的差別を受け、隔離された施設で、社会から疎外された状態で生涯を過ごす事を余儀なくされていたらしい。

けれど実際にはその感染力は極めて低く、通常の人であれば自然の免疫を持っているから、治療中の患者からでさえ感染は皆無で、しかも現在は完治する病気であるとの事。

それでもなお、今現在でも教育や結婚、住む場所などいろいろな面で差別を受けている人たちがいる、という事だった。


河瀬さんは、これを伝えたかったんだろうな。。。

映画の中でも、「命を授かったけれど、産む事を許されなかった...」って言ってた。


いのちって、何なんだろう。

同じいのちが、いのちを産む事を禁止し、人と同じ生活を送る権利を奪っているという現実。


劇中に出てきた資料の中に、こんな言葉があった。

「わたしたちも、陽の当たるところで暮らしたい。」


それでも徳江さんは、初めて千太郎を見かけた時、”自分がこの垣根を越えられないって思った時と同じ、悲しそうな目をしてた。”って言って、千太郎の事をいつもいつも、その生涯を終えるまでずっと、思いやり、気にかけていた。


「私たちはお墓も建てられないから、仲間が亡くなったら木を植えるのよ。」って友人の佳子さんが言っていたその敷地内で、美しく秋に色づく木々の葉が風に揺られ、さぁぁぁっと音を奏でる時の、その心地良さ。

静かに心が満ちてゆく感じ。


「ひとはおとを聴くために、見るために生まれてきたの。だから、何かになれなくても、私たちには生きている意味があるのよ。」

そんなふうに、やわらかな表情でつぶやく徳江さんは、若かりし頃、どんなにかやりたかったこと、なりたかったものがあって、それでもなれずに、哀しい思いや悔しい思い、不甲斐ない思いを乗り越えて、少しずつ自分を満たす方法を、自分で身につけてきたんだろう。


でも、やっぱりずっとさみしかったんだろうな。

「店長さんと一緒にお仕事ができて、ほんとうに、楽しかったなぁ。。。」って

これ以上ないってくらいに満ち足りた笑顔で、幸せそうに話している徳江さんの姿が、哀しくなるくらい愛おしかった。


そんなふうに、いつもいつも自分の事を気にかけてくれ、朝は誰よりも早く起きて勤勉に仕事に向かい、誰よりも丁寧に餡を練り、いのちの放つ心の声に耳を傾け、誰も作れないような美味しい餡を作り、いつも千太郎のことを心配して、想って、笑いかけてくれていた徳江さんに対し

自分も他の周りのひとたちと同様、心のどこかで差別していたんだという事実に気づいて、いたたまれなくなって涙をこらえる千太郎。


それでも、徳江さんは笑っていた。



映画を見ている最中、後ろのほうでおじいちゃんが、子どもみたいに「おばあちゃん、どうしちゃったの?」とか、桜が綺麗だったわ...と徳江さんが語ってるシーンで「おばあちゃんもきれいだよ。」って言ってたりしてて笑、なんかちっちゃい男のコが言ってるみたいで可愛かった(^-^)。

素直っていいなぁ〜。

だからあたしも、手叩いて笑ったり、劇中のひとに話しかけたり、嗚咽漏らしながら泣きまくったり、心素っ裸にして好きなように観られて、ほんとによかった。


生きてるって、こういう事だよね。

生きていられる間に、いろんな感情いっぱい感じたい。

傷ついても、哀しい思いしても、そこから何かを学び取りたい。

喜びたい、哀しみたい、怒りたい、考えたい、想いたい、おもいやり、あいたい。



徳江さんが亡くなったあとしばらくして、お店ではない露天で、どら焼きを焼いて売っている千太郎の姿があった。


「どら焼き、いかがですかー!」

晴れ晴れとした表情の千太郎が放つ、真に真っ直ぐな声。

この”声”が、あたしのなかに特別なものとして深く、深く響いた。

あたしに足りないのは、これだ...と思った。


自分から働きかけ、外と繋がろうとするチカラ。

これが、社会に生きるって事なんだ。


でもきっと、やみくもに叫んだって何も届かない。

外に向かって注目を呼びかけるためには、ひとり黙々と試行錯誤を繰り返し、準備を万端に整えるからこそ

静かなる自信に満ちた、真っ直ぐに通る声で、世間に「こっちを見て!」と、呼びかける事が出来るんだ。


内なる世界を育み、構築し、外の世界と繋がる。

それが、”生きる醍醐味” なんだと思う。


そして生きることに疲れたら、徳江さんの言葉を思い出そうと思う。

「わたしたちは音を聴くために、みるために生まれてきたの。だから、何かになれなくても、私たちには生きている意味があるのよ。」

感じること。

それだけで、きっと豊かに生きられるんだよね。


徳江さん。

生きてゆくためのチカラを、ありがとう。

{C87E93B3-EAAE-4474-B120-AF017046BE0F}

{1CBB7A0E-8534-4F45-A30E-560EF2AF8FB9}