『The Fountain』を観ました。

はかない幸せに胸が締め付けられながらも、心に深く浸透し、潜在的な部分が共鳴するような、不思議な映画だった。


映像スタッフの優秀さもさることながら、とにかくヒュージャックマンとレイチェルワイズのふたりが放つ、それぞれの人としての品格ある繊細な豊かさと、それが絡み合う時の切ない色鮮やかさ。


一番いいなぁ...と思ったシーンは、ふたり屋根の上で星空を眺めてる、なにげないシーン。

そんなもんだよね(^-^)。




この映画のあらすじを簡単に説明すると、

不治の病にかかった最愛の妻イジー(レイチェルワイズ)を、何とかして治そうとする医師のトム(ヒュージャックマン)。

イジーは自分の死を受け入れ、残された生の時間をできる限りトミーと過ごしたいと願うが、彼は死を病気と考え、妻のために研究室にこもりきりで新薬を開発しようと必死で、そのことには気づかない。

しかし、彼女が書いていた『the fountain』という中世スペインを舞台とした一大叙情詩的世界と、いま自分が生きている世界、それと自身の潜在的精神世界、三次元の織り成す世界のなかで、しだいに彼は妻が言いたかったことが何なのかに気づいていく。


それは、

今生きている世界でめいいっぱい

生をまっとうしたその後

死に到達したその瞬間から

次の次元で永遠のいのちとなり

ふたりは共に生きられる

ということ。


そしてそのためにも

いまある生を共に分かち合い、個人としての生を生き抜き、全う(finished)させなければならない

ということ。




どんなに相手を愛していても

自分は相手とは違う、別個体の人間で

決して一個体にはなれない。

そして、

ひとりでは完全にはなれない

欠けた存在である私たち。


そこから来る、どうしようもない哀しみ。



相手を心から愛していればいるほど
その哀しみは深く

トムとイジーは、まるで自分自身であるかのごとくお互いが濃密にフィットしていて

たとえいつか別れなければならない日が来るとしても、こんな関係を誰かと築けるなら、どうしようもなく幸せなことだと思った。




そして、死に向かってトミーが独りで宇宙空間を旅している象徴的なシーンがあるのだけれど、そこは実はCGではなく、シャーレのなかで実際に起こっているマクロな反応を撮影したらしく

その映像は、ほんとうに宇宙空間で起こっている星たちの壮大ないのちのドラマを見ているようで。



そんな有機的かつ無常的、たおやかに流れ落ちてゆく映像のなかに身を委ねていると

たとえ今この世の中で、どんな哀しさや淋しさや苦しみに心をえぐられることがあっても、死は誰にでも平等に、こんなに満たされた瞬間の世界を見せてくれるんだ...って、不思議と満たされた気持ちになりました。


その営みを見ているだけで、すべての辛く哀しい感情はいつか、遠く甘く懐かしいものになる気がして

そう思えるのならなおさら、いま生きているこのいのちが感じる感情を、どんなものでも大切にしたいと、おもたのでした。




R、素敵な映画にであわせてくれて、ありがとう☆

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